名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

大きな声を出したら気づけた大事なこと。

いきなり書きます。超、時系列で書きます。(笑)

超長文です。

10分はかかります。

 

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今日、 職場の先輩が僕をカラオケに連れ出してくれた。

最初に居酒屋さんで少し飲んだんだけど、全然食欲も呑み欲(?)もなく、

今の状況を話しただけでした。

大好きな鉄道に乗ることが今は苦痛になっていること、

人混みが苦手などなど、

聴いてほしいことがあったくせに自分からも言えなくて、

せっかく心配してきてくれている先輩に失礼な話。

仕事の話は気にすんな、と言われて、涙が出そうにもなる。。。

最悪期は脱したものの、それでもまだまだ回復まで道は遠いことを話した。

お盆に実家に帰ったときに、

母親が骨折して料理できないのを手伝ったのがきっかけで、

辛い状況の中、料理することでつらいことを忘れさせているので、

おかしな言い方になるが、母親には感謝している。

もし、母親がけがしていなかったら、

今僕は生きていないかもしれない。。。

 

カラオケも久しぶりだが、休職してから10日。

職場(工場)の中で大きな声を出すこともなくなり、

家でぶつくさ話している程度。普通に話すことすらしてない。

人と面と向かって話すことすら久しぶりで、

変な汗はかきまくるし、

大きな声も出ないから声も耳に届きにくくなったと思う。

それだけで身体が拒否反応を示す。

正直、この状況で先輩に来てもらってはダメだったと反省。

余計に心配させてしまった。。。かも、、、

 

お酒も最近2日間で急に飲めなくなった。

何だろう、身体が弱って来たのか。。。

2杯で飲めなくなった。

不眠もたたって、すぐに眠くなるのがわかっちゃったかも。

睡眠薬を飲んで無理に寝ていても、

心底眠れていないことが分かった。

 

1.5時間ほどでカラオケに移動。

 

さっき書いた通り、話してない、大きな声出してない、

身体がカラオケを忘れているかのようだった。

自分で入れた1曲目が歌えない。声が出ない。

しかも、福山雅治の地味な歌を1曲目にしてしまい、

自分が歌っていて自分で泣きそうになっていた。アホか!(笑)

 

2曲目でも思った声が出ない。

焦る自分。カラオケがストレスになるなんてありえない!!!

訳が分からなくなってきた。

3曲目あたりから、少しずつ回復してきたが、

今度はお腹の調子が悪くなってきた。キュルキュル~~

 

トイレに駆け込み、快便スッキリ。。。と思いつつ、

頼みのウォシュレット故障で、大ピンチ!!汗

ここは省略(笑)

 

これを境に、急に身体が楽になってきた。

忘れていた歌い方も少しずつ思い出してきた。

後半は気持ちよく歌えるようになってきたけど、

最初の3曲ほどで喉に大きな負担がかかってしまったために、

高い声は出なくなった。

でも、自分はアーティストではない、ということをふと思い出したので(笑)

1オクターブ下げて、無理せず歌う。

もちろん、こっちのほうが完成度は上がる。

立場によって完成度は変わるものだ。

アーティストではないのだから、無理して高い声で歌う必要はない。

一般人として歌うのだから、1オクターブ下げてでも完璧に歌えれば、

それは100点なのだ。

僕たちは無意識に

あらゆるハードルを上げてしまっているらしい。

 

自分たちの歌っている歌がいい歌で、

歌詞がなびくと泣きそうになる。まだまだ病み・闇真っ最中!!!(笑)

 

2時間歌って先輩にありがとうを伝えて別れ際、

「絶対無理しちゃだめだからね」

と言われて、泣きそうになるが、こらえた。

独りになって歩いて帰るときに

「無理しちゃダメ」という言葉が脳裏をよぎる。

でも、さっきの話と一緒じゃないかとふと思う。

立場によって完成度は変わるものだ。

 

僕たちは無意識にあらゆるハードルを

上げてしまっている

今の立場で無理せず頑張って

100点をとれればいい。

ただそれだけだ。

 

ひたすら歩いて帰る、といっても15分だけど。。。

妙に長く感じた。

いや違う、有意義だった。

大きな声を出して動き出した腸、

そして大きな声を出せるようになった自分の身体。

それが影響したのだろうか、

少し身体が軽くなった気がした。

それだけではない。

頭が柔らかくなったのだろうか、

妙に色々なことが整理出来始めた。

その中でも、

今週頭にはどん底だった自分の考えがあった。

『自分は生きたくて生まれてて来たのではない』という

かなり危険な考え。

自分が鬱になったのは、過去を遡ること39年前、

誕生した時が契機となったのではないか?と考えるようになっていた。

高学歴の両親に生まれた兄弟の次男

両親は教育に熱心であったが、僕の前で兄を殴ったり怒ったり、

色々なことが僕のトラウマとして残った。

その影響で僕は人から怒られることを極端に恐れるようになり、

そうなることから逃げるようになった。

物心がついたころから、嘘を平気でついていた。

嘘をつくことになれていた自分が大人になったら、

もちろん嘘をつきまくる。

会社やプライベートでトラブルが起こったら、

そこからいち早く逃げてきた。

自分を守るためである。

しかし、それがあだとなって、社会人になってから自分を苦しめまくった。

その結果が今のうつ病である。

ただ、各々の自分の考えは、あくまで『自分本位』

正しいかどうかは深くは追究してない。

『自分は生きたくて生まれてて来たのではない』

というショッキングな理由から鬱になったと勝手に推定した自分。

その時、急に僕の中に出てきた『このまま生きていても意味がない』という

過去最高に危険な発想。

しかし、このときなぜか僕の中にスーパーマンが現れて、

僕のこの発想にストップをかけてくれた。

『とりあえず、それ以上は考えるな!』

自分はつぶやく、「お前、誰やねん」

何故か、その危険な発想から自分を遠ざけようとして、

急にヒーリング音楽を聞きふけり、その危機から脱した。

その時に、ふと自分の中から沸々と湧いてきた疑問があった。

「でも、どうして僕は、【今、ここ】を生かしてもらっているんだろう??

その答えがなかなか出ませんでした。

その疑問が出てから4日後の今日、

カラオケからの帰り道で、ふと湧いてきたのです。

僕を心配して、わざわざ連れ出しに来てくれた先輩がいる。。。

そういえば、

お盆に実家に帰ったときの話をしたが、

両親は僕に感謝してくれた。。。

それ以上は頭が回転しなくて探せなかったが、

こんな僕でも、

今ここを生きているだけで、

存在意義を感じてくれている人たちがいるんじゃないのか。。

いくら生き方が雑だったとしても、

僕の存在意義を感じてくれている人がいるんじゃないのか。。。

こんな雑な生き方で僕が生きていっても、

僕の存在意義がうっすらでもあるから、

今ここを生かしてもらっているのではないだろうか。。。

いくら当たり前のように嘘をついてよく思われたい自分でも、

その反面、

うっすらとでも人に貢献できていることがあるのであれば、

それは『今ここを生きる理由』になる。

僕はそれすら解らなくなっていた。。。

歩きながら涙が止まんない。

身体と心はつながっている

実感できたのは言うまでもない。

腸が第二の脳だと言われる所以も解った気がする。

何より、

今ここを生かされている理由があったこと、言葉もない。

 

家に帰ると会社から給与明細が届いていた。

3キロ離れた会社から、360円かかって給与明細が届いていた。

書類案内は所定のフォーマットで、得意先向けの文面を使ったもの、

会社の大先輩の送ってくれたものだったが、

完成度の低さにびっくりしてしまった。

感情の波が収まったとき、人は冷静さを取り戻す。

冷静な時の自分は薄情である。

気づいたときに、寒気がした。

 

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ハハハハ、3000文字超えたブログ初めて!!!

おめでと~~~!!!(笑)

 

気づいたことを羅列していく形式で書いてみました。

この形式で書くことでお伝えしたいことがもう一つあります。

自分の感情と行動を時系列で書きだすことで、

感情の波が収まり、冷静に自分を見つめることが出来ます。

まだまだ闇(病み)の真っ最中ですが、

少し時間はかかるものの、この振り返り方で自分を冷静に見られていれば、

自分の中に光るものを見つけられていて、

もう少し浅い闇で済んだかもしれません。

明日以降も同じようなブログが増えるかと思いますが、

よろしくお願いします。

あれ??このくだり、昼間に書いた気がするが。。。

気のせいか?毛のせいか?(笑)