名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

倖せに悩もう

悩みにも『前向き』と『後ろ向き』があります。

 

倖せに悩もう、という提案は一見矛盾しています。

でも、後ろ向きに悩むよりは、

はるかに

前向きに悩んだほうがよさそうに思いません?

それが『倖せに悩む』ということです。

 

なんとなく、オチはお分かりかとは思いますが、、、(笑)

 

『今が倖せであるという前提で、

この先に訪れる未来をどう生きていこうか?』と考える、

とでも定義しておきましょうか。

 

そうすると、

過去も倖せだったと考えられるようになりそうですよね。

 

自分の生い立ちをお話しするのはあまり好きではないですが、

裕福な自宅(周りの建売住宅より大きな実家)に生まれ、

兄に厳しく教育する両親、

片や黙り込んで泣いて、口論しているのが怖くて仕方なかった。

そして社会人になるまで、そのループ。

お金のことでもめる両親を見ていて、

「喧嘩はやめてほしい」といったが、

別に喧嘩はしてないと一蹴された子供のころ。

そんな両親を見て育った自分。

いち早く次男の僕は実家を出ます。と言っても24歳。

 

そして社会人16年目の今年まで、

大きな山と谷をいくつも超えて、

今は谷の底からはいずりあがった。

今年の谷は深かったあ。

もう出れないかもと思って、あきらめかけたこともあった。

だけど、何とか抜け出せそう。

 

そんな人生の谷底からはいずり出た僕にとって、

今現在は『倖せ』なんですね。

そんな今現在、この先訪れる未来をどう生きていこうか

と考えているんですね。

要は、『倖せに悩んでいる』状態なんです。

そんな状態の僕にとって、

これまでの過去は倖せに輝く過去だったと思えるのです。

なぜならば、

今生きている、という当たり前のことが、

超貴重なことであるからなんです。

 

ポイントはたった一つ、

【今起こっていること、一つ一つが超貴重で、

 それがつながって超倖せな人生を作り出している】こと。

 

もう、倖せだ、という事実に気付くこと。

それだけなんです。

 

今、裕福な時代になった今現代。

その「当たり前の倖せ」に気付けなくて、

それを不幸だと勘違いして、

本当に不幸になっている人が幾人いることでしょうか。

本当は不幸じゃないのに、不幸になっていく人がいるんです。

本当は倖せなのに、不幸になる人がいるんです。

 

お金があってもなくても、

愛する人がいてもいなくても、

仕事があってもなくても、

人生とは何かという問いに答えられても答えられなくても、

とにもかくにも、、、

今生きている人はみんな倖せなんですよ!

今生きている人はみんな倖せなんですよ!

今ある幸せに目を背けて、

辛いとか、うっとおしいとか、色々なことに文句付けて、

不幸になろうとする人が本当に多い。

 

今生きている人へ、

もうすでに、本当に幸せなんですよ。

不幸を作り出すのはやめましょ。

そういう人たちは、お互いの不幸の上塗りをしてしまって、

結局もっと不幸になるんです。

 

多分永久保存版。

倖せに悩むこと、始めてみませんか?