名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

新幹線台車亀裂問題について、思うこと

yahooニュースに出てきていた下記の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

そのあと、

JR西日本のホームページに掲載されていた下記のページを読みました。

www.westjr.co.jp

 

ホームページの上のほうに、

『安全に対する取り組み』についての画面が出つつ、

この内容を読み、違和感がひどかったのは否めない事実ですが、

鉄道ファンでもあるし、あまり責めたくはないのが本音。

でも、遺族の方の意見を読めば、その通りだと思うし、

なんだかな~と何度も思い続けていました。

 

あくまでも個人的な見解ですが、思うことをつらつらと。。。

 

今回のトラブルの一番は『モヤ』を異常と認識できなかったことです。

N700Aは禁煙車両ですから、煙やモヤが発生するはずがないのです。

振動や音については、

車両連結部(トイレとかがあるあたり)を通行した経験がある人でも、

車掌でも保守担当者でも判断はつきにくいものですし、

焦げ臭いにおいも在来線の新型車両でもしますから、

違和感を持てるかどうかは非常に微妙なところ。

少なくとも喫煙車両がない編成の新幹線で、

モヤがかかっているとわかっていれば、非常事態だと判定でき、

岡山で運行取りやめに出来たんだろうなと思いました。

 

それと同時にJR西日本がホームページに記載している、

『基準』についてあいまいだったことと

『他社依存』の風土が根強いことと

『コミュニケーション』がうまくいかなかったこともあいまって、

重大インシデントが起こったという感じでしょうか。

 

ただ、

ここからは超へんくつな考え方で書きます。

JR西日本のホームページに乗っているPDFファイルの

経過についてを熟読していただければお分かりかとは思いますが、

異常が感じられた13号車を新神戸駅で点検した事象について、

下記のように記されています。

15:38~岡山~新神戸

①指令員Lは、車両保守担当社員Iより、13 号車のモーター開放をし、音の
変化を確認する提案を受け、実施することにした。
②指令員Kは、運転士に対し 13 号車のモーター開放を指示した。
③指令員Kは、車掌Aに 13 号車のモーター開放することを連絡した。
④指令員Lは、JR東海の指令員に対し「異臭がしていたが現在はしていな
い、異音がするので 13 号車のモーター開放をする」ことを伝えた。(運転
見合わせに関する協議は行なっていない)
⑤指令員Mは、車掌Aに対して体調不良のお客様や苦情の有無を確認したと
ころ、車掌Aより今のところはないと返答を受ける。
15:48 新神戸到着

①車両保守担当社員H、車両保守担当社員Jが車外にて 13 号車を確認したと
ころ異臭を感じなかった。また、13 号車の車体とホームの間を懐中電灯で
照らして目視で確認したが異常は感じなかった。
15:49 新神戸発車

JR西日本福知山線事故を起こしたにもかかわらず、

列車外で1分しか点検を行わなかったのです。

車体とホームとの間を点検しても、台車は見えませんから、

異常は検知されません。

このあたりの事実を鑑みても、

遺族の方々が口々に仰る

『2005年と何も体質が変わらない』という言葉につながるのは仕方ないです。

で、

僕が言いたいのは、

なぜJR西日本にはこんな社風が根付いてしまったのか?

ということです。

僕は思うに、

日本特有の時間意識がそうさせてしまったんだろうな

と思うんです。

つい先日も、JR在来線に乗っていて、

特急の通過待ち駅での乗務員放送で、

行き違いをする特急列車が遅れているため、

発車が遅れますとアナウンスがあり、

ターミナル駅に到着する前には、

「通過待ちの特急列車の遅れに伴い、この列車3分遅れて到着しました。

 列車到着が遅れましたこと、お詫びいたします」と車掌が案内する。

これ、日本特有の時間意識です。

1分だろうが、5分だろうが、10分だろうが、1時間だろうが、

列車が遅延すると、乗客がブチ切れるんです。

どうして乗客がキレるのか?

それは

心に余裕がないからです。

だから、スケジュールにも余裕がないのです。

だから、遅れたら怖いのです。1分1秒でも遅れたら怖いのです。

これが日本の風土なんです。日本人の特徴なのです。

余白が怖いのです。

 

もっと言えば、

倖せであるという事実に

気づけてないからなのでしょう。

鉄道があるということが当たり前すぎて、

時間通りに列車が来ることが当たり前すぎて、

それを倖せであると感じられなくなっているのが日本の乗客です。

 

信号のある横断歩道を渡ろうとしたときに、

歩行者信号が点滅すると走って渡る人が多い。

これも日本特有の時間意識です。

余裕がない。時間の余白が怖い。

 

そう、JR西日本は被害者で、

加害者は乗客であるのでは?ということを

考えてしまいました。

 

だからやっぱり、

今ここを生かさせてもらっている

という奇跡をしっかりと見つめ、

周りの一人一人が

本当は倖せなんだということに

気付ける人が増えれば、

嘘みたいに解決するんじゃないのかな?

と思うんですよね。

 

倖せ倖せって、宗教みたいだというかもしれないけど、

何かがあることは倖せと思わないで、

何かがあるのが『あたりまえだ』

と思い始めた瞬間から、

どんどんと不幸になっていくんだと思うんですね。

それが今回の台車問題に如実に現れている気がするんです。

もう一度、

いろんなことを怖がらずに見つめ始めるとき

なんだろうと思いました。