名前のないブログ

2018/1/13タイトル変えすぎっ!(笑)メンタルの話メインに何でも書きます。辛くなった時、読んだらほっこりできるブログを目指します。

自分の中に答えがある

雪の峠は超えていきそうですが、

朝にパリパリに凍り付くかどうかが問題ですね。。。

自分の頭から、氷や雪を解かすような光線が出ないかと、

本気で思うこれから2週間がやってきます(笑)

 

土曜日に厄払いに寒川神社に行く道中にふと考えたこと。

 

下のBlogでも書いたのですが、、、 

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

人間て

本来持ってる能力凄すぎるんです。

写ルンですより凄い!

スマホよりも、出会い系サイトよりも(古っ!)

とりあえず、すごい生き物なんです。

 

で、神社に行くときに色々よぎったんですけど、

もしかして、

赤ちゃんとして生まれたときには、

みんな人間として凄い才能を持っているんじゃないだろうか。

それも、等しく同じ才能を持っている。

それが、誰かに何かを教わり始めていくにつれて、

色々なところで差が生まれていく、

そして、色々な環境の影響で本来持っている才能を忘れていく。

その先に、闇というか、病みが待っているのではないか?

ふと、

「あれ?俺ってこんなはずじゃない!!」とか

急に思ってしまう。

こんなはずじゃない!と思うのは、

教わるスタイルが基本『否定』から入ることが理由。

何に比べて否定するかというと、

『世間一般、標準的な、良識ある社会人』と比較して、

『否定』したうえで、こうしなさい、と教えるから。

多分、もう既に人間として全ての事実について知っていて、

心の奥底では(無意識)

標準的な人間としての才能はもう持っているのに、

どうしてか、色んな事を否定されているけど、

本当は違うんだ!と気が付いていて、

それをずっとずっとずっと感じ続けてきたから、

その心理的な疲れが

【生きにくさ】という形でクローズアップされるのではないか。

 

だから、

【学ぶ】ことによって、

内なる自分の、もとから持っている才能を思い出す。

教育ではない学びによって、もともとの自分に戻っていく。

だから、自分の中に芽生える不安は、

心理的な疲れが蓄積しているサイン。

その不安と向き合い乗り越えると、

もともとの純粋無垢で才能豊かな自分に戻れる

一歩を踏み出せる。

不安に向き合えず、乗り越えないままであると、

心理的な疲労が蓄積し続け、

心の病になってしまう。

 

要するに、不安が出てきたら一度認めること。

乗り越える前に、絶対一度は自分でその不安に向き合うこと。

怖いし、勇気いるけど、絶対に向き合うこと。

自分に向き合わずに乗り越えようとすると、

それは自己否定になる。

今の現実を生み出したのは紛れもなく自分。

自分の中に必ず答えがある。

その答えを見出さなければ、

乗り越えられないし、

学べない。

 

生まれたときから、人間は素晴らしい才能を持っている。

そう、自分の中に答えがきっとあります。

ループ

ごくごく一般的な話しします!

もちろん、僕も当てはまります!!

「お前が言うな!」と突っ込まれること言います!!(笑)

 

アドバイスする人、

説教っぽいこと言う人、

キレる人、、、、ナドナド(笑)

み~んな、ほぼ99%が、

いやいや、

99.99999999999999%が

自分のことを棚に上げて言ってます!!

かく言う僕もです!!(笑)

ということは、

相手が自分にくれるアドバイス

相手が自分にする叱咤・激励そして説教(笑)は、

【俺も人のこと言えないけど

 立場上(年齢とかキャリアとか)

 言わなきゃいけないから

 ホントは言いたくないけど】

という思いが隠れているんですね。

そう、潜在意識に隠れています。

 

で、ここからが特に思うことなんですけど、

そういう隠れている思いがあるということは、

言う人にはとんでもなく辛いエネルギー(負荷)

かかっているということ、

その辛いエネルギー(負荷)と同じ大きさの

愛情が潜んでいるんです。

愛情がなければ、

普通そんなつらいエネルギー使いません!

 

で、、、、、

もっともっと行きますよ!(笑)

その愛情を理解するがゆえに、

真面目に真面目に、

相手の言うことを真剣に受け止めすぎると、

言ってる相手の行動と言葉とが

違っていることに気が付いた瞬間に、

言われている側が理解した愛情不信に化けます。

こういうことが重なって重なって、

人間関係がどんどん悪っていく、

これを眞野あずさ、、、ではなく(笑)

魔のループ

とでも名付けておきましょうか。

 

でもって、、、でもってですよ!!!!(うざいな。。。(笑))

じゃあ、その魔のループを断ち切るには

どうしたらいいの???という答え、

健全な答えはというと、、、

ズバリ

『相手の言うことは意見である』

『意見はただの意見に過ぎない』

と言って、

健全にシカトするのです!!!!!

表向きは、愛情があるとしっかりアピールするのがコツ(笑)

でも、心の内側ではひっそりと、健全にシカトしましょう。

理由???

んなもん、愛情もクソもないって(笑)

言動≠行動なんだもの!!

 

 

愛情だエネルギーだグダグダ言っといてなんですけど、

言行不一致の人に愛情とかエネルギー注ぐの勿体ない!

そこに注いだ愛情とかエネルギーは

形を変えて出ていくんです。

お金や健康に化けて、自分から出て行ってしまうんです。

意見は意見、という内容も以前にあげましたが、

他人のために自分のエネルギーを使うのはいいにせよ、

言行不一致の人のために、

無駄にエネルギーを消費するのは本当にもったいないです。

腹八分も勿体ない(笑)

腹一分ぐらいで十分!!!!!

僕の場合は、その注いだエネルギーは、

お金や健康に化けて出ていったと今は思っています。

残るは借金と薬。

今でこそ薬は手放せるようにはなったものの、

現実逃避のために使った時間とお金は本当に無駄だった。

いや、お金だけに限って言えば、

もう十数年も多くのお金を無駄にしてしまった。

 

時代は変わったんです。

自分が主体になって生きる時代になったんです。

だからこそ、人様のアドバイスを真に受けるのは

ほどほどにしたほうがいいんです。

そうじゃないと、魔のループから抜け出せなくなります。

抜け出し方は下のリンクをご参照あれ^^

 

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

 

 

 

学び

何だか今日もまとまってないけど、いいや(笑)

 

生きてるだけで倖せ、って前から書いていますが、

もう少し違う角度で同じことを言うと、

生まれた段階で、

人間に生まれた時点で、

もう素晴らしい存在なのだ、ということ。

そして、

人生における学びは、

人間に生まれた時点で自分に備わっている

素晴らしい仕組みに気づく瞬間なのだと思う。

 

学びたい欲が出るということは、

自己否定が強いことを意味する。

僕の言う自己否定とは、

自分が倖せであることに気付けない、という意味。

 

ここでいう学びとは教育とは違い、

『自分で気づく』ということである。

 

社会人になって、たくさんの壁にぶち当たった。

部署移動になって首都圏にやってきて、

それでも壁に何度もぶち当たり、

たまらなくなって色んなことに手を出した。

自己投資という都合のいい言葉を使って、

ダメな自分をどうにかしたいという勘違いのもと、

色んなセミナーにも通った。セラピーにも通った。

環境が人を変えると聞けば、

それを口実に何処かに出かけた。

車や電車で北は北海道、南は九州鹿児島まで。

金もなくなった。当たり前だ!(笑)

 

あれやこれや、いろんなことをやったけど、

社会人になって16年目、生まれて40年目、

過去最強に高い壁にぶち当たった。

もう無理だと思った。生きれないとも思った。

でも、結局、

一番大事なのは

『自分が自分のことを理解し、

 受け止め、

 認め、

 それを通して

 自分が倖せであると気づくこと』

だったと気づいた。

色々なことにお金をかけたけど、

色んなセミナーに行ったけど、

色んな本を読んだけど、、、、、

色々やってきたけど、

それはもともと持ち合わせていた

人間の素晴らしさ、

自分が素晴らしいとすら思えていなかった

自分の持っている仕組みに気付いただけで、

本当は元来人間の持っていた能力

 

環境が変わったとか、人間関係の問題とかで、

人や性格が変わるというわけではない。

それは、

本来人間として持っている素晴らしさを

気づけなくなっているだけで、

諸問題に埋もれた状況でしかない。

埃のようなものだ。

 

それに気づけなくて、

今までのウン百万の投資はいったい何だったんだ??

とすら思うけど、

それも含めての自分という人間の素晴らしさ、

それも含めての自分の倖せを実感出来た、と思えば、

今、お金がなくても、

今、会社がつらくても、

今、メンタル病んでいても、

今、悩んでいても、

今、彼女がいなくても、

今、親が嫌いでも、

今、何が起こっていようとも、

大したことではない!

だから、今のまんまでいい!!

それが人間にしか味わえない

素晴らしさなんだ!!

人間として生きている倖せなんだ!!!!!

 

ね、もう怖いものなんかないでしょ。

 

 

 

大嫌い!大嫌い!大嫌い!大好きっ!Ah~!!

このフレーズ覚えていますか?

 

なんていう歌やったっけ・・・あわわ。

調べます。

モーニング娘の。。。。

『サマーナイトタウン』という歌らしいです。

当時も今も、全然きょーみない(笑)

だけど、このフレーズだけは、妙に頭に残ってますよね。。。

 

大嫌い!大嫌い!大嫌い!大好きっ!Ah~!!

 

当時の僕からすれば、

突っ込みどころ満載!

①そもそも、どっちやねん!!みたいな。

大嫌いなんか、大好きなんか、はっきりせんかい!!(笑)

みたいな。。。。

②Ah~んって、感じとるやないかっ!!汗

 

というエロい話をしたいわけではありません。

 

1998年か、大学生の時(笑)

多感な時でしたかね、いや浪人終わってほっとした時期かも。

そん時は、ゆずが出始めのころ。

20年も前なんですね。

でも、今頃この歌の凄さに気付くとは。。。

 

あ、好きという凄さではなく、

この歌詞が、実は心理学的に面白いテキストになりそうだと思ったんです。

 

www.utamap.com

意識的には『大嫌い!』なんだけど、

無意識的には、実は『大好き!』とか、

他にも、、、

『私の中にワタシがいるわ』

とか。。。

 

つんく氏は僕はシャ乱Qの初期しか好きではなく、

このころのハロプロの歌は正直あまり好きではなかった。

しかし、40前のおっさんになって思ったのは、

このお方、人の心を読む天才だったのかもということ。

 

そして、勉強ばかりの39歳で『感謝』の一年を歩んだ僕にとって、

(この辺はテキトーに過去のBlog読んどいてみてください)

そして、復活にあたって読んだ精神科の本とかを読み終えて、

ふと、この歌詞の凄さがわかるんですね。

 

男と女の子の恋愛の歌のように見えますが、

この歌詞は人間の心理を謳った歌かもしれません。

そう、私の中に私がいるんです、もう一人。

 

日常生活において、イライラしたり、時にはキレたりするのって、

なんでだろう?

今日、思い悩んでしまうほどのことがありました。

帰り道、そのことで自分を追い込んでしまう自分。

あれ?まだ治ってなかったの??なんて追い込む自分。。。

でも、そんな自分の中にいる『もう一人の自分』がこう教えてくれたのです。

イライラや嫌いのエネルギーの裏には、

同じエネルギー量の愛がある。しかも見えない愛がある。

正直否定したい、だけどこれが真実なんだよ。

 

どうして否定したくなるか。

それは、自分の意識の中の【キライ】と

無意識の中の【スキ】が同居して、

そこでけんかしてしまって、身体と心がざわざわしてしまう。

これがストレスの正体じゃないのかな・と思うんですね。

いつしか僕は、このストレスをきちんと理解しないで、

悪者扱いにしていました。

しかし、

今僕が振り返って学んだなと思ったのは、

ストレスを消したり、なくしたりすることを求めるよりも、

ストレスがあることを素直に認め、

そのストレスの要因が、

どこに潜んでいるのかをしっかり探り、

その要因をしっかりと見つめ

受け入れることが大事だということ。

 

大概、無意識と意識の乖離に要因があります。

しかし、難しいのは

意識はともかく、無意識の本当の想いをなかなか理解できない。

でも、そのヒントは身体にあります。

身体の声をしっかり聴くということは、

自分の心と向き合うこと。

 

大丈夫、僕にだってできたことですから、

誰だってできます。

無になって、音もない状態にして、

身体が何か訴えてこないか?そっと耳を傾けてみましょう。

足の裏が痛い、胃が痛い、頭がしんどい。。。

体調は心の声を代弁してくれています。

何もなければそのまま眠ればいい。

何かあれば「もう一人の自分」としっかり対話をしてみましょう。

すると、眠れるようになるし、ストレスとも仲良くなれますよ。

言葉の意味には2つある

とりあえず書き始めます、こんな時間に(笑)

 

え~と、何から書こうか。。。

 

言葉の意味の話からいきますね。

言葉には意味がありますが、

僕は、いや、他の先生方も言ってるのかもしれないけど、

ま、とりあえず僕は『2種類の言葉の意味』があると思っています。

①辞書的意味

②言葉を発する人が込める、無意識的な意味

で、今日は②のお話をします。

 

言葉の意味には、辞書的意味以外に、

潜在的な無意識に与える意味があるんじゃないかと思っています。

例えば【改革】という言葉。

業務を改革しようなんて、会社ではよく飛び交いますよね。

もしくは【改善】という言葉も。

辞書的意味は、『制度などを改め変えること』だそうで、

この【改める】という意味には、

 新しくする。古いもの、旧来のものを新しいものと入れ替える。「日を―・める」「第一項は次のように―・める」
 悪い点、不備な点をよいほうへ変える。改善する。「態度を―・める」「悪習を―・める」
 服装や態度をきちんとする。「居ずまいを―・めて拝聴する」
 正しいかどうか詳しく調べて確かめる。吟味する。「罪状を―・める」「財布の中身を―・める」

というのがあるそうです。

特に、2の『悪い点を良いほうへ変える』という意味が強く思うんですね。

で、

例えば【改革】と聞くと、

〔「易経革卦」による。「革」はあらためる、「命」は天命の意〕

 支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革。 「ロシア-」 「無血-」 「暴力-」
 既成の制度や価値を根本的に変革すること。 「産業-」 「文化-」
 〔中国で、天子は天命を受けて天下を治めるとされていたところから〕 王朝があらたまること。 

 

だそうで、

改革・革命、という言葉の意味はご理解いただけたかと思います。

これは『辞書的意味』ですね。

 

で、

この言葉の裏には「どんな意味が隠れているか?」を考えるのです。

それが、【言葉を発する人がその言葉に込める無意識的な意味】の話です。

コミュニケーションについては別途話しますが、

コミュニケーションもいろんな種類があって、

言葉のコミュニケーションだけではなく、

無意識同士のコミュニケーションや、

五感同士でのコミュニケーションなど、

『非言語コミュニケーション』が沢山あるんですね。

で、

例えば、会社で『業務改革』という言葉が大々的に出たとします。

とすると、辞書的意味で考えれば、

「業務を良い方向に変えていく」という意味になりますが、

無意識的には

『今までの業務は悪かった。だから変えていくんだ』という

悪い自己否定を込めたメッセージになるんですね。

今までの業務を否定するということは、

今まで業務を行っていた人や業務そのものを否定する、

すなわち【無意識的に全否定】を行うことになるのです。

 

ここまでの話を踏まえて、冷静に考えてくださいね。

『改革』という言葉が世の中にあふれかえっていますよね。

政治、経済、会社、などなど。。

この『改革』という言葉が独り歩きする時代に、

果たして人々は本当によくなったと実感できるでしょうか?

これまで生きてきた何年、何十年を全否定されていると、

無意識がとらえているというからくりを知らない人たちが、

本当に心の底から幸せを感じれるはずがないですよね。

僕は時代が変わったという風潮は、

このような言葉の持つ威力・脅威を理解されないまま、

昔から使い続けている人たちに原因があるのではと思うのです。

 

言葉は時には人を成長させる起爆剤にもなるし、

時には人をダメにしてしまう凶器にもなります。

それを理解して、言葉を選んで、

もっと言葉の意味を理解して勉強して、

毎日の奇跡や倖せに感謝することが必要だと思います。

 

アピールについて

タイトル変更しました。

題名のない音楽会』からパクりました。ウソ!!

参考にしました。

 

タイトルで何かアピールするのめんどくなったから。

ただそれだけです。(笑)

 

SNSなどで何かをアピールしまくる人って、

①『自分には何か足りません!』

と言っているか、

②『自分をかまってほしい!』と言っているか、

③『宣伝してます!お願いします!』

④事実を伝えている人

のどれかだと気づきました。

僕は、今まで①②だったな、と思います。

実際の体験談を披露することに酔いしれていた。

ただそれだけだと気づきました。

 

それは、今倖せだと気づけたから解ったことです。

これからは、SNSでは事実だけを伝えていこうと思います。

また、ブログでは、タイトルをなしにして、

思ったこと、感じたことを、背伸びせずに伝えていこうと思います。

 

 

新幹線台車亀裂問題について、思うこと

yahooニュースに出てきていた下記の記事を読みました。

headlines.yahoo.co.jp

そのあと、

JR西日本のホームページに掲載されていた下記のページを読みました。

www.westjr.co.jp

 

ホームページの上のほうに、

『安全に対する取り組み』についての画面が出つつ、

この内容を読み、違和感がひどかったのは否めない事実ですが、

鉄道ファンでもあるし、あまり責めたくはないのが本音。

でも、遺族の方の意見を読めば、その通りだと思うし、

なんだかな~と何度も思い続けていました。

 

あくまでも個人的な見解ですが、思うことをつらつらと。。。

 

今回のトラブルの一番は『モヤ』を異常と認識できなかったことです。

N700Aは禁煙車両ですから、煙やモヤが発生するはずがないのです。

振動や音については、

車両連結部(トイレとかがあるあたり)を通行した経験がある人でも、

車掌でも保守担当者でも判断はつきにくいものですし、

焦げ臭いにおいも在来線の新型車両でもしますから、

違和感を持てるかどうかは非常に微妙なところ。

少なくとも喫煙車両がない編成の新幹線で、

モヤがかかっているとわかっていれば、非常事態だと判定でき、

岡山で運行取りやめに出来たんだろうなと思いました。

 

それと同時にJR西日本がホームページに記載している、

『基準』についてあいまいだったことと

『他社依存』の風土が根強いことと

『コミュニケーション』がうまくいかなかったこともあいまって、

重大インシデントが起こったという感じでしょうか。

 

ただ、

ここからは超へんくつな考え方で書きます。

JR西日本のホームページに乗っているPDFファイルの

経過についてを熟読していただければお分かりかとは思いますが、

異常が感じられた13号車を新神戸駅で点検した事象について、

下記のように記されています。

15:38~岡山~新神戸

①指令員Lは、車両保守担当社員Iより、13 号車のモーター開放をし、音の
変化を確認する提案を受け、実施することにした。
②指令員Kは、運転士に対し 13 号車のモーター開放を指示した。
③指令員Kは、車掌Aに 13 号車のモーター開放することを連絡した。
④指令員Lは、JR東海の指令員に対し「異臭がしていたが現在はしていな
い、異音がするので 13 号車のモーター開放をする」ことを伝えた。(運転
見合わせに関する協議は行なっていない)
⑤指令員Mは、車掌Aに対して体調不良のお客様や苦情の有無を確認したと
ころ、車掌Aより今のところはないと返答を受ける。
15:48 新神戸到着

①車両保守担当社員H、車両保守担当社員Jが車外にて 13 号車を確認したと
ころ異臭を感じなかった。また、13 号車の車体とホームの間を懐中電灯で
照らして目視で確認したが異常は感じなかった。
15:49 新神戸発車

JR西日本福知山線事故を起こしたにもかかわらず、

列車外で1分しか点検を行わなかったのです。

車体とホームとの間を点検しても、台車は見えませんから、

異常は検知されません。

このあたりの事実を鑑みても、

遺族の方々が口々に仰る

『2005年と何も体質が変わらない』という言葉につながるのは仕方ないです。

で、

僕が言いたいのは、

なぜJR西日本にはこんな社風が根付いてしまったのか?

ということです。

僕は思うに、

日本特有の時間意識がそうさせてしまったんだろうな

と思うんです。

つい先日も、JR在来線に乗っていて、

特急の通過待ち駅での乗務員放送で、

行き違いをする特急列車が遅れているため、

発車が遅れますとアナウンスがあり、

ターミナル駅に到着する前には、

「通過待ちの特急列車の遅れに伴い、この列車3分遅れて到着しました。

 列車到着が遅れましたこと、お詫びいたします」と車掌が案内する。

これ、日本特有の時間意識です。

1分だろうが、5分だろうが、10分だろうが、1時間だろうが、

列車が遅延すると、乗客がブチ切れるんです。

どうして乗客がキレるのか?

それは

心に余裕がないからです。

だから、スケジュールにも余裕がないのです。

だから、遅れたら怖いのです。1分1秒でも遅れたら怖いのです。

これが日本の風土なんです。日本人の特徴なのです。

余白が怖いのです。

 

もっと言えば、

倖せであるという事実に

気づけてないからなのでしょう。

鉄道があるということが当たり前すぎて、

時間通りに列車が来ることが当たり前すぎて、

それを倖せであると感じられなくなっているのが日本の乗客です。

 

信号のある横断歩道を渡ろうとしたときに、

歩行者信号が点滅すると走って渡る人が多い。

これも日本特有の時間意識です。

余裕がない。時間の余白が怖い。

 

そう、JR西日本は被害者で、

加害者は乗客であるのでは?ということを

考えてしまいました。

 

だからやっぱり、

今ここを生かさせてもらっている

という奇跡をしっかりと見つめ、

周りの一人一人が

本当は倖せなんだということに

気付ける人が増えれば、

嘘みたいに解決するんじゃないのかな?

と思うんですよね。

 

倖せ倖せって、宗教みたいだというかもしれないけど、

何かがあることは倖せと思わないで、

何かがあるのが『あたりまえだ』

と思い始めた瞬間から、

どんどんと不幸になっていくんだと思うんですね。

それが今回の台車問題に如実に現れている気がするんです。

もう一度、

いろんなことを怖がらずに見つめ始めるとき

なんだろうと思いました。