名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

6年ぶりの更新( ´∀` )

ご無沙汰しております。。。なんて

このブログ知ってる人がどれぐらいいるのやら・・・

 

6年前の秋ですかね。

前職の退職のタイミングで上司から言われてくそむかついた話を書いたところで、

更新が滞ってました。というか

ブログなんかやる気なくなってた、というのが正直なところ。

 

あれから6年、

自分で決めた通り長崎へ来ました。

転職し、公共交通の会社で40歳の新入社員(笑)

からの今は6年目。

年月の過ぎるのは早いものですね。

 

なんでまた6年ぶりにブログなんぞ?という感じもするのですが、

年が変わってすぐに色々あって自分が重たくなって、

あら、このまま仕事を頑張ってしまうとやばいな、ということで、

会社には噓をついて3泊4日で隠居生活をしていたのです(場所は秘密)

そんな中で

色々思うこともありまして、そういやブログなんかやってたな~と調べて

ここに

たどり着いたというか、戻ってきたわけであります(笑)

 

なんか、気づいたことを自分の中にとどめておいても

結局むなしいだけだし、

樺沢紫苑先生の言う「インプットーアウトプットーフィードバック」のサイクルを

回すうえで、

アウトプットする場が猛烈に少ないと思いつつ、

XとかFacebookも最近めんどくさくなってきて。。。

スマホの操作が面倒)

久しぶりにノートパソコンで文字を並べてみてるわけです。

大したことを書いてきたわけではないですが、

まあ、いろいろと。。。書きたいお年頃になってきたんですかね、

今年は46歳(笑)

 

まあ、スマホも面倒だしパソコン開いた時だけの更新になりますが、

ぼちぼち書いていきます。

 

とりあえず長崎で生きてますので、近くの方コンタクトよろしくお願いします( ´艸`)

ちょっといいたい②上司たる人へ

昨日の続き。

 

お祝いしてくれた上司のこと。

酔っぱらって言ってきたこと。

 

「Rよ、お前が会社を辞めたのは、俺がお前を辞めさせたことにもなる。

 本当に申し訳ないとは思うけど、本当に決まってよかった。

 でも、周りからは俺は責められる。Rをあんたはやめさせたんか?と

 問い詰められる。俺はつらいけど、結果的にはそうなったというしかない」

 

要するに、俺はお前を辞めさせた。

周りから聞かれて、結果的にはそうなったと言わざるを得ない。

ということを言われたのですが、、、、

 

僕は、最終的に退職を決めたのは、自分の意志でした。

確かに上司は求職前後で、僕には選択肢として退職して

環境を変えるという選択肢もあるんだよ、といってきましたが、

上司が僕に言ったのは、

自分の人生を決めるのは自分だから、しっかり考えなさい。ということ。

上司が言葉にしているのは、真実とは異なるのです。

なのに、そんな言い方で周囲には言っていて、

それでなんかつらいんだけど、と言われても俺は知らん!

 

僕は退職しましたが、それは自己都合という扱いなんです。

上司が俺が辞めさせたというのであれば、

それなら会社に掛け合うにあたって、

会社都合でやめたことにしてほしかった。

そしたら、失業保険の給付だって、7月2週目からもらえたんだって。

 

 

ここから全体的な話になるんだけど、

上長として上に立つ人で、部下に対して面談なりなんなりで

上司として部下の将来を考えるときに、

無理して今の会社でいる必要はないよ、ということは悪くはないと思う。

自分が部下の将来のことを思って言っているんだから。

それは部下を愛しているが故、

部下の幸せを祈るが故の話。

でも、それをするなら、

結果的に辞めさせたといわれることを覚悟したうえでやらなきゃだめだし、

退職した後になって、つらかったなんて話されるのは冗談じゃないよ。

もし自分がそういう立場の人になるなら、

そこの覚悟はしたうえで部下に話をする。

それができないんだったら、絶対にやっちゃだめだ。

あるべき上司の姿ってそういうもんだと思う。

 

ちょっと取り乱しましたが、僕の思っていることです。

 

 

どーしてもいいたい①僕は死なない

昨日からさっきまで、

転職先が決まったのでお祝いということで、

焼き肉食べて、別の人と飲んでました。

あ~しんど(笑)

 

で、ちょっと2軒目の呑みで、、、

 

どうやら、僕が神奈川から長崎に行くことで、

前職の同僚・パートさんからは

「Rと会えなくなる」なんて話でざわざわしている、

という話を聞きました。

 

しか~~~~っし、ちょっと待った!!!!

(⇧酔ってます(*`艸´)ウシシシ)

 

『俺は長崎に行っても、生きてるぞ!!』

 

いやいやいやいや、

「Rがいなくなって、ロス感漂ってます」

って言われたけど、

きっぱり言います!!

バカヤロー!!!!(ゆずの夏色アンコールみたいな感じで!!( ̄▽ ̄;))

 

まだ『僕は死にましぇーーーん!!!!!』

武田鉄矢101回目のプロポーズ並みの叫び方で!!!( ̄ー ̄)ニヤリ)

 

 

転職して神奈川からいなくなるからって、勝手に殺さないでよ!

 

そこからいなくなります!っていうだけで、僕は死なない。

海外に行くならまだわからなくはないが、

日本国内だ。

新幹線と特急列車とローカル列車で7時間だ。

会えなくなるわけないじゃないか!俺は生きてるんだから。

そこで会えない!なんて言う人は、

本気でそう思ってない人なんだな、って思ってしまうよ。

おれもそういう人のことを興味持たないよ。

わざわざ往復数万かけて会いに行きたいとは思わないよ。

 

前から思うんだよ。この送別会とかっていうの大っ嫌い。

会いたくないだけだろう!って思ってしまう。

距離が遠くて金銭的・時間的に会いにくくなるというのは、

会いたくないだけだ。

実際に僕も壮行会に呼ばれたときに、

その気になれば会えるという感じで壮行会をした人なんて、

ほとんどいないよ。

そんなもんだ。

 

それか、会いたいと思わせるほどの俺の人徳がなかったかのどちらかだ。

 

会える回数が減るだけで、最後なんだね、なんて言われて、

拗ねてる僕はただの独りよがりなの?

だったら、そんな繋がりいらないよ!

 

人と人のつながりって、

そんなちんけなもんじゃないよ。

俺は本気で会いたい人は、10年以上ぶりだってそこに行くさ。

実家からよくいっていた南紀白浜の父親の会社の寮の跡地に行こうと

一人旅で行ったことがある。

その時その寮を管理していた人に久々に会って、

涙を流して喜んだことがある。

なくなったと思っていた寮でその人が住んでいたからだ。

向こうも覚えてくれていた。

寮が閉鎖になっても、わざわざ来てくれたのは僕だけだそうだ。

僕は

「またしばらく会えなくなることは寂しいけど、

フィアンセが出来たら、必ずご紹介に上がります」

と言って、

僕は南紀白浜を後にした。

僕も管理人の人も泣いていた。

でも、僕はまた会える、そう信じている。

 

僕は人とのつながりって、そういうもんだと思う。

距離がいくら離れていても、心の中にその人はずっと生きていて、

会いたくなったタイミングで会うことが出来れば、

そこには感動が生まれる。

そう、いくら距離が離れていても、絶対にはなれることはない!

遠くなるとなかなか会えなくなる、だから最後だね。。。なんて、

そんな切ない人間関係なんて御免だ!

 

転職先決まりました。

ハイ、そのまま書きますが、

転職先決まりました。

出身は大阪府、現在は神奈川県在住ですが、

転職先は長崎県の某公共交通を扱う会社です。

一応社名は伏せますが、自分の夢がかなう形となりました。

 

公共交通の仕事に携わりたいと思ったのは、前の会社を辞めてからで、

自分の好きなことを仕事に出来るならばそれに越したことがない、

ということで、

自分の趣味や好きなことをリストアップし、

そこから会社探しをするというやり方をやっていました。

その中で今回の業界には新卒の就活からずっと興味はありつつも、

結局「趣味は仕事にした瞬間から趣味ではなくなる」ということで

別の医療系業界を受けて入社しました。

結論からするとこれが大きな間違いで、

17年間一社勤めましたが、

ストレスの増大によってうつ病にもなってしまいました。

 

退職した時に、ふと、

人生80歳まで生きるとして、仕事をするのは65歳まで。

とすると残り25年か。

残り25年間の仕事は何にするか??

そうだな~死ぬ前に後悔するような人生で終わるのは嫌だな。

うん、やっぱりやりたいことを仕事にしよう。

という感じで考えて、最初の転職活動ではその業界に決めたという経緯です。

 

旅行好きであったこと、地方の交通事情は非常に厳しいということ。

そして廃線などの現場を旅先で見てきたこともあり、

やっぱりいてもたってもいられなくなった、という感じです。

 

いきなり長崎県に行くし、正直土地勘ないし、

僕のキャラクターが受け入れられるかはわからない、

というのが正直なところですが、

【失敗しても気にしない】というスタイルで決めました。

 

9月5日に採用試験でした。

前日に移動しようと思っていましたが、

強力な台風21号の接近と移動日がちょうど重なりそうで、

いくら新幹線と言っても止まる可能性があると思った僕は、

更に1日前倒して3日に移動しました。

結果はご存知の通り大正解で、4日は全部の新幹線が止まってしまいました。

関空の被害も生中継のニュースで見ていました。

実家にLINEしましたが、数十年ぶりの凄い台風だったそうです。

 

そんな困難もありましたが、

無事採用試験には参加できました。

なんと受験生は僕だけ。焦りました。

採用試験というと普通何人かいるものと思っていましたが、

僕だけだとは思っていませんでした。

適性検査や筆記試験も一人で受験。

面接は4対1の面接。

そして、何よりも移動距離の長さがきつかった。

いくら鉄道好きでも、東海道・山陽新幹線で博多から新横浜まで乗るのは、

かなりきつかった、というのが感想ですね。

多分、高速バスなんかもってのほかでしょう(笑)

 

まあ、これから先は一筋縄ではいかないのは承知の上で、

いい意味で楽しんで仕事していこうと思います。

 

対策できてますか?

なかなか猛威が衰えない異常気象ですね。

 

台風がまた接近、いや上陸しそうな様相を呈しています。

という僕はというと、

採用試験が九州で5日にあり、新幹線と特急列車を使って、

ほぼ1日の移動が4日予定されていました。

しかし、台風情報を見ていると、4日まともに西日本を縦断するという

台風情報が出ていたので、

悩みに悩んだ挙句、スーツを包んで、3日中に移動をすべて完了させる予定に変更しました。

1泊分の宿泊費が追加されますが、結果的に、

3日夕方には山陽新幹線のほぼ終日見合わせが決定、

朝一番ののぞみで移動はできたとしても、リスクの大きい行動と思えました。

大嫌いな雷雨にはあってしまいそうですが(笑)

それでも交通マヒに巻き込まれることなく、

自分の人生を左右する採用試験に万全の体制で臨むことができることとなりました。

 

実は別の会社の採用試験の時にも、台風が関東地方に接近していて、

静岡に移動するときに新幹線が止まってしまってはいけないと思い、

多少やりすぎかな?と思いましたが、前泊した経験もあります。

 

 

自分の人生を生きるのはほかならぬ自分であります。

人生全体を見ても、このような小さな判断をも、

すべて自分の人生につながる話。

冷静に考えること、いつでもどこでも何歳でもできるようにしたいと思います。

退職後2か月経過して思うこと

おはようございます。

ただいま赤坂見附のファミレスで朝ごはん食べながら、

久しぶりのブログを書いております。

実は4日に移動して5日に九州で採用試験があるのですが、

4日に日本を横断するであろうクソ台風のせいで、

1日前倒しで移動することにしました。

4日は交通障害必至なので、5日の採用試験に行けないというのはちょっと

おバカさんも丸出しなのでね。

 

さて、9月になりましたね。

退職したのが6月末、ということで、

2か月経過した、ということなんですが。。。

それでも2か月かあ。という感じですね。

気分的には、もう半年ぐらい経過したような気分ですが、

色々ありましたね。。。

 

 

7月中に会社の送別会があったのですが、

40人近い人が集まったという。。。

それだけで緊張の2時間を過ごしたのはいい思い出です。

人前であいさつすること、ほとんど経験していなかったので、

なんだか楽しかったような、つらかったようなデス。

 

8月に入ってちょくちょく面接を3社受験しましたが、

見事に3社ともダメそうです(1社は結果待ち)

これまでの自分を振り返って、

なんだか、転職活動への取り組み方が、

どこかタカをくくっていや様な気もします。

多分大丈夫だろうとか、どこかに勝手にうまくいくという思い込みもあったり、

それでいて準備をするのはギリギリで完成度の低い準備しかできていなかったり。

 

その結果が内定がなかなか出ない、という状況になったのかと思います。

「転職活動なめんなよ!」って、周囲から言われているような気もします。

そこまで誰も言ってないんだけどね。

 

なので、今までの反省を踏まえて、

次の試験は台風のせいとはいえ、十分に準備できる環境になったので、

つらい思いをしないようにしていきたいと思います。

古き良き鉄道遺構

実家から失礼します。

 

12日から帰省しており、びっくりするぐらい何もしておらず。。。

(転職活動は継続してPC上で行っております)

食べて飲んで食べて飲んで。。。

 

ブクブクブクブク。。。

 

ええ、

近々書こうと思っていた断食の話が書きづらくなってきた今日この頃(-"-;A ...アセアセ

 

 

何...書こうかな。。。(笑)

 

 

実家は南海高野線沿いです。

難波から岸里玉出で分岐して大阪南部、和歌山、高野山に向かいますが、

岸里玉出から北へ分岐している路線があります。

これが、汐見橋線です。

その外側の歴史的な遺構的写真を撮りました。

 

国道26号線を跨ぐ跨道橋です。

ペンキも剥げていますが、昔できたんだな、とわかるような趣があります。

その近くにあるのが、下の写真。

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近くで見ないとわかりませんが、この架線柱、

実は古いレールを活用して作られているのですよ。

ちょっとびっくりかもしれませんが、そうなんです。

南海本線みさき公園以南や支線で見ることができます。

 

首都圏の鉄道でも、昔しようしていた古いレールを再利用しているところが、

今でもたくさんありますよ。

気づいた時にはアップしてみますね。