トラウマ
このブログは、まとまりないです。
先にお詫びしておきます。ゴメンナサイ。
歩道と車道を分けるチェーンに気付かずに引っ掛かり、
大地に肘鉄くらわせてやったぜ!!
で、おなじみのRUIです。
ワイルドだろう~~??(笑)
さてさて、新年度が始まった、といっても、
毎朝代わり映えしないバス通勤ですが、
いつも一緒になる他チームの人とバス停から会社まで歩いているとき、
おそらくどこかの部活の試合かなんかにいくジャージ姿の高校生を見かけました。
その時、他チームの人がこんなことを。。。
「最近のジャージはおしゃれになったもんだよね。
俺が高校の時はエンジ色のジャージでさあ。。。
いやでいやでしかたがなかったんだよね。
なんつーのかな、トラウマになっちゃったんだよね。。。
でも、いくらこちらから嫌い嫌いなんて言っても変わんないじゃない。
だから、仕方ないから好きになってやったんだ。そしたら楽になってねえ。」
さて。。。
一瞬フリーズしちゃったのは言うまでもないですよね。笑
トラウマって、好きになれるんでしょうか?
僕のトラウマ。。。
雷・地震・嫌いな上司・チーズ・豆類全般・・・えとせとら。
最初、このブログを描く前に思い描いていた結語は、
「トラウマだって好きになれば乗り越えられる」という、超ポジティブな結語でした。
しかし、書けば書くほど悩ましい。。。トラウマ。
意味を調べると、『精神的外傷』って書いてある。
傷は傷だからねえ。。。好きになれねえよ。
ん??
少しだけ閃いた。
傷は傷なんですよ。
消えてなくなる傷かどうかはわからない。
でも、事実としてその人に対して強い影響を与えた証拠になるんですよね。
おそらくそれがトラウマということだと思います。
では、
日常にトラウマって潜んでいるのでしょうか?
知っている限り、そんなにたくさん潜んでいないと僕は思うのです。
少なくとも、未来に向かってトラウマなんて存在しないと思うんですよ。
もしかすると、『トラウマ』という便利な言葉を使って、
自分を守ろうとしている部分が、自分の中に隠れているかもしれない。
小学校で恥をかいた記憶とか、
会社で部長に怒られた記憶とか、っていうじゃないですか。
でも、記憶に残っているのって、たいがい自分の記憶じゃなくて他人。
その記憶に直面してないのに、自分でいろいろ考えてしまうんでしょうね。
自分はこんな状況になりたくない、こんな経験したくない。
それを『トラウマ』なんて便利な言葉を使って困難な状況から逃げようとしている、
僕は僕自身をそう分析しました。
そう、なんだかものすごく衝撃的なことが起こってしまったときに、
本当に冷静に起こった事象を分析することが大事なんじゃないかな、としみじみ勝手に思います。
軽々しくトラウマと口にしないほうがよさそうに思いました。
嗚呼、なんちゅーまとまりのないブログ。笑