名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

地味に倖せでいいんじゃない

職場の同僚から、
「Rさ~ん、元気ですか~??」と声をかけられて、
ふと思いました。

『嗚呼、元気だよ。元気になれてきたな~。
 自分が元気でいられるのは、
 あなたたちのような、
 健気に僕に声をかけてくれるような
 人たちのおかげなんだよ~』
と本気で感じ
本気で感謝していました。

視野が狭くなると、自分に辛くあたる人しか
目に入ってこない。
わざわざ見ないでいいのに、
なぜか見てしまう。
それ以外の人たちの存在は、とかく忘れがち。。。

だけど、
自分が今日までやってこれているのは、
周りにいる、明るく声をかけてくれている人たちのおかげ。
職場だけではなく、家族だけではなく。。。
沢山の人たちに囲まれて僕は生きている。

自分に辛く当たる人たちは、雲のようなもの。
夏の夕立雲のよう。
真夏にもくもく湧いて、
夕立が終われば、高層雲(すじ雲)になって
どんどん消えていく。

雲が晴れたら顔を出す、
僕は太陽に照らされるような月みたい。
自力で輝けなくても、周囲の太陽たちのおかげで、
真っ暗な夜でもほんのり明るく照らせる存在なんだ。
僕は、地味に輝く人でありたいんだな、とつくづく思う。
派手に生きる性分ではないんだろうな。
でも、それでいい。

地味に人に貢献できる人でありたい。
地味に「生きてるだけで倖せである」ことを伝えたい。
うん、地味にね。
新幹線や特急じゃない。
豪華観光特急ではない。
地味な普通列車で十分だ。

発見

FB友達の投稿に対して、

そんなに意識しないでコメントをして、

友達からコメントが帰ってきて、ふと自分のコメントを読み返した時に、

おっ!

なんか、自分のコメントいけてんじゃないの??と

急に思ってしまうことがあるんですね。

いったい自分の何がそうコメントさせたんだろう>>とか、

色々考察するんですけど、特にこれといった回答も出ず(笑)

 

こういう時には、

あ~無意識の声なのかもな、と思っています。

だって、意識して「こうコメントしよう!」と思って

コメントしたわけじゃないし、

ただ何となく思ったことをコメントしてるだけですからね。

 

とはいえ、

自分でもびっくりするぐらい、いいコメント書いたりすることありません?

もしくは、

自分でも引くぐらい、サブいコメント書いてるときありません?

僕の場合両方とも同じぐらいの頻度でありますね。

うん、同じぐらいあるな。。。

 

そのうえで、今日はいいコメントだったな~(笑)

 

え?そのコメント?

ま、相手がいる話なので、プライバシーは守るということで、

しぃ~っ!

 

これもある意味、投影なのかもしれませんね。

自分と「相手に自分が映る」場合の投影、

自分と「神羅万象に自分が映る」場合の投影、

そして、自分と「仮想媒体に自分が映る」場合の投影。

色んなパターンの投影があるなと思います。

 

ブログに自分の考えをツラツラ書くことも、

FBに投稿することも、

色んな意味での投影が周りにはありますね。

どれが良し、というわけではありませんし、

全て投影は投影だと思います。

 

と同時に、

自分で自分のことをしっかり理解しているつもりでも、

意外な自分の発見が多くあるな~と思ってしまいます。

ま、それもそのはずですよね。

無意識:意識=97:3なのですから。

意識の3について知っているつもりで

「自分のことをしっかり理解できてる」なんて

大きな声では言えません。

残り97は無意識なんですからね(笑)

 

多分、日常生活に埋もれてなかなか気づけない、

細かなところにも「おっ!」と思えるような、

沢山の発見があるはずなんですよね。

 

ま、意識も無意識も

他ならない自分の中で起こっていることなので、

自分で信じられないことも、無意識的にやってしまうこともあるわけで、

一喜一憂するのではなく、

良くても悪くても、新しい自分を知ることが出来て良かった!

と思えればいいんじゃないですかね。

死ぬまでに97の無意識を知り尽くすことなんぞ、絶対できないんですから(笑)

 

ま、適当に一喜一憂しながら、

自分に感謝しながら、ぼちぼち行きましょう^^

無理やり

先々週あたりに、睡眠薬が無くなったときに、

眠れなくてどうしようか・・・と思ったという話をしました。

その時に考えたのは、

『眠れない』という言葉をやめて、

『起きていたい』という言葉に言い換えました。

ネガティブな要素を極力なくした言葉で考えるということをやりました。

 

結局先々週3日連続で寝れなかったのですが、

4日目には眠れたんですね。

眠れたときには

『お~起きていたいという感情を手放したんだな』という言葉で考えました。

「やっと眠れた」という発想はしなかったんですね。

苦労してなんとか出来た、というニュアンスが色濃く出てしまっていると、

それがトラウマにもなりかねませんから、

天秤にかけて、手放したという表現にしました。

 

生きてる限り倖せだ!とはいっても、

絶対につらいことが起きないかというと断言できない。

だけど、それに対していちいち悪いイメージを

わざわざ残す必要はない。

無理やり自分でつらくなる必要はないんですね。

今まで自分を不幸にする癖がこびりついてる人は、

これなかなか治らないんですけど、

少しでもできはじめると、だんだん楽になってくるんじゃないかなと思います。

どうせ無理やりやるなら、無理やり良い言葉でその出来事を語りましょう。

そのほうが、自分のため。

 

腹減った→身体がエネルギー欲するぐらいに頑張った

朝起きて会社に行きたくない→身体が今この瞬間をじっくり味わいたいと言っている

上司に説教された→僕のために怒りのエネルギーを使ってくれた。僕は愛されている。

人に何かを言われてむかついた→感情が喜怒哀楽を正常に表現してくれている。

休日予定がない→余白時間を楽しむ

お金がない→嫌でもお金が増えてくる

彼女がいない→全ての人のために愛情を温存している

体重が増えた(冬)→ウォームビズで寒さ対策万全だぜ!

体重が増えた(夏)→ダイエットスーツ着てる感じで、スリムに一直線!

店の食事がまずい→とびっきりおいしいものを食べるための前準備だぜ!

天気が悪い→水の恵み、ありがたや

晴れて暑い→太陽の恵み、ありがたや

 

ね?無理やりでしょ??(笑)

これぐらい無理やりにでもいいから、いい言葉に置き換える癖って

ありじゃない??^^

整理

さてさて~

 

今日は何を書こうかな~???

 

さてさて~~~

 

何にしようかな~~

 

と、マジで何を書こうか決めないまま、ブログを書き始めているのですが、

これって、マジな話、いいかもしれないですよ。。。

 

書きたいことがあるときに、

ブログを書こう!と思って書き始めるのは、まあ普段からあることなんですが、

書きたいことがない時に、何も考えてないのに立ち上げて書き始めるって、

これ、なかなか勇気いるじゃないですか。

 

台本がないのに、ネタがないのに漫才を始めてしまって、

それなりに笑いは取れるんですけど、

オチをどうするか考えていなかったので、

そこを手探りで漫才を進めるような番組ありますよね。

でも、意外と最終的にはすんなりまとまっている場合もありますし。

 

これ、ブログという場合もありますが、

もっと簡単な話、メモ帳かノートとペンを持ったうえで、

何も考えないでひたすら書きまくるというのも面白いですよ。

音もテレビも何もかもをシャットダウンして、

それで「じい~っ」と何かが出てくるまで待つんです。

それで、出てきたことをノートに書いていく。

書いたことからどんどんつながって、

色々なことを思い考え巡らせて、

知らないうちに一つの形のようなものが出来上がっていて、

それが自分の心に何かしっかりとしたものになっている場合がある。

これは何が起こっているかというと、

自己対話の相方がノートになっている、ということなんですね。

もしくは、自己対話の議事録をノートがとってくれている感じですかねww

 

あの~、良く一人は寂しいとかいう方いるじゃないですか。

アホ丸出しな発言しますが、

一人でも実際は独りじゃなかったりするもんです。

だって、独り暮らしの人でも、家で何だか知らないけど

独りごとしゃべってることあるでしょ?

あれも、自分の中にいるもう一人の自分と対話しているんですもの。

言葉に出さないだけで、普段でも会社にいても、

電車に乗ってても、ブツブツぼやいてることあるでしょ?

口には出さなくても、頭の中でモヤモヤしてることあるでしょ?

そういう時、誰にぼやいているのでしょうか?

他ならない、もう一人の自分だと僕は思っています。

 

僕はこのもう一人の自分と僕自身がしっかり語り合うことが、

毎日の倖せを実感するためには本当に大事なんだろうなと思っています。

世の中に唯一無二の存在である僕がいるということは、

自分の中のもう一人の自分はもちろん唯一無二の存在。

この二人が緊密に連携してこそ

始めて人生の歯車が回るんですね。

そして、これまでも回ってきたんですよね。

二人の緊密なかかわりが、当たり前の倖せに気付くきっかけにもなるし、

なんていうかな。。。

ドラえもんのび太君みたいな関係?

時にはお互いによくわからなくなることもあるだろうけど、

その時はわからないなりに試行錯誤したらいいし、

試行錯誤の先にはまた何か新しい世界が待っているから、

やっぱり生きてるだけで倖せ!って言えるでしょ??

 

っとまあ、こんな感じで、

何も書く内容が頭にまとまっていなくても、

何か書き始めれば自然と頭が整理されてくるんですね。

日記となると継続できない自分に嫌になるから、

ほぼ日記みたいな感じで書いてもいいかもしれませんね。

文字にしてみて初めて、自分のことが客観的に見れるのかもしれません。

さあ、ブログかノート、始めてみませんか。

見えないメダル

前々から思っていましたが、、、

 

そろそろ、

あきらめましょうか。。。

 

(笑)

 

ね。

もう、悩んだり、苦しんだり、もがいたりしても、

待っている結果、持っている才能、

色んな意味で仕方がないと思える。

 

どうしたって、今を生きるしか仕方ないし、

生きるか死ぬかだとしたら、

今は生きるしか選択肢がない。

だって、生きているほうが絶対シアワセだという答えしか

今の自分にはないから。

死んだことないからわかんないけど、

いずれ死に至る僕たちの人生だし、

それはそれで楽しみとして置いといたほうがいいでしょ。

 

オリンピックには勝者敗者はありません。

あの舞台に立つ人は対等であります。

才能の差はあったとしても、あの舞台に立つ人はみな勝者だと思います。

 

僕たちの周りにいる人も、

そんなに差はなく、みんな等しく倖せであり、

等しく素晴らしい人生を送られているはずなので、

僕は多くを語らず、多くを突っ込まず、

それぞれが自分の人生を第一に生きることでしか、

僕らは倖せにはなれないと思いました。

 

メダルに沸くオリンピック、

あのメダルを自分もかけているな、みたいな感じで、

明日からも前を向いて、

今の倖せをしっかりかみしめていきましょう!!

青空セラピー

車の定期点検で、待ってます。
画面右下にテレビがありますが、
でも、空が面白くて…

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

寒くなると確信できる空ですね。
一雨あってもおかしくない空。
春先の空は忙しない。

冬と春が喧嘩してるみたい。
それを見ながら、
僕は『まあまあ』と宥めてみる。

 

人間関係でも投影とかありますが、
空にも自分の内側が投影されるみたい。
だから、こんな呟きをしたくなるんだろうな。

僕は自分に『まあまあ』と
なだめてるんですよね。

独りでも出来る【青空セラピー】
みなさまもいかが?(^_-)

 

偉大

謙遜ていうんだっけ。。。

卑下っていうんだっけ。。。

『自分みたいなものが』とか、

何か褒められたら『いやいや、そこまででは・・・』と言ってしまうの。。。

 

もう長年の癖がこびりついてて、、、

自分は本当は偉大なのに、

偉大じゃない、って思いこむの。

 

自分みたいな者が。。。なんて、どうして???

なんで相手より下なんだよ。。。

っていうか、

みんな生きてるだけで偉大なんだよね、一人一人が偉大なの。

 

もうこれは、降参するしかない。

もう生きてるだけで偉大なんだ、と思うしかないの。

みんな偉大なんだから、選択肢がそれしかないの。

生きてるだけで偉大だから、

謙遜なんて本当は必要ないの。

取引先と会社との関係とかではないからね。

人間関係は基本そう。

 

誉め言葉はありがたく受け取る。

「ありがとうございます」ってハッキリと受け取る。

ありがたくいただくわけです。

 

そして、一人一人が偉大なんだから、

相手も偉大なの。

だから、相手にもその思いを伝えるしかないの。

対等に偉大なんだからね。

 

もー、謙遜なんかいらない!!

 

優劣なんて大した差じゃない。

みんな偉大なの。

存在してるだけで、偉大なの。

人を馬鹿にしている人も、実は偉大なの。

罵倒ばかりする上司でも実は偉大なの。

一人一人が偉大なの。

ということは、優劣なんか意味ないの。

優れてようが優れてなかろうが、

みんな偉大なんだから。

 

自分が偉大だということ、

すんなり受け止めたらいいじゃんね。

もう誰にも負けないとか言わないで、

みんな平等に偉大なんだよね。

だから、素直に受け取ろう。

自分の偉大さを素直に受け取ろう。