名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

自分の人生に興味を持つ

自分に興味ありますか??

自分の人生に興味ありますか??

 

けっこう重要なことが抜け落ちていたことに、

うすら禿げが気づきました(笑)

 

収入とか支出とか、

数秘術的な意味とか、

これまで何をしてきたか?とか(セミナー受講歴、読んだ本など、なんでも)

本当に興味持ってなかったな~と思った。

 

当たり前すぎて、毛根死ぬわ(笑)

 

過去の自分の人生について興味を持っていなかったということは、

今の自分の人生にも興味がない。

未来の自分の人生にも興味がない。

 

今の自分の人生に興味がないということ。

今朝の体重は?

朝ごはんを何時に食べたか?

運動した?

本読んだ?

お金いくら使った?

 

瞬間瞬間で考えてないというのもあるけど、

無意識の部分も影響はしてると思うんだけど、

自分の人生に興味があれば、

もう少し考える。

今までそれがなさ過ぎたのかな。。。とも思える。

急に湧いてきたことなんだけど、そう思う。

 

自分次第という言葉をよく聞く。

だけど、自分と言えども、いろんな自分がいる。

直近を切り取って考えると確かにそうだけど、

長い目で自分の人生を振り返ると、

自分に興味あったのかよ?と思った。

その瞬間瞬間に、自分の人生に興味をもって、その選択をしたのかよ?

と思った。

 

その最たる例が支出額の多さだった。

消費者金融にも手を出した。

ETCカードに付属するカードでリボ払いで買いまくった。

毎月1万7千円返済してるけど、そのうち利息と手数料が7000円だって、

今日気が付いた(バカ)

クレカ3枚あって、でも今の月収の明細の支給額みて14万で愕然とした。

それまでは給与明細にすら興味がなかった。

そのまんま自分の欲望を満たすことしか考えていなかった。

 

ゴルフもしたいし、車でダムに出かけるの好きだし、

鉄道旅行もしたいし、音楽聞きたいし、

女の子が近くに来てくれるお店好きだし(笑)

お酒好きだし、

でも自己啓発したいからセミナーにいきまくったし、、、

 

何でもかんでもやりたいことやってりゃ、

いつかこうなることは目に見えてた。

結果、リボ払い残高の65万と消費者金融合わせて、現在105万の借金なり。

 

 

そんなざまだから、未来の自分になんか興味持てないんだよ。

 

だから自分の命を粗末にしようとするのさ。

部屋が汚くなるのさ。

自分を痛めつけようとするのさ。

無理しようとするのさ。

彼女もできないのさ。

 

全部自作自演の悲劇のヒロインになろうとしてたと、

ようやっと腑に落ちてきた。

 

自分で書いててむなしくなる。

でも、同じような人いるかもしれない。

だからそういう人を少しでも救いたいし、

そういう人たちのために何かできることないかな?って模索してる。

 

ってことは、

このブログのタイトルも【庶民のための】というのはやめて、

【幸せな人生のための】に変えちゃお(笑)

だあってさあ、

幸せな自分になりたいからね。(笑)

お金持ちになりたいという意味じゃないからね。

【幸せに生きたい】と心から思うからね。

 

自分が幸せになり、その幸せを周りに波及させる使命があるということが、

無意識からのメッセージなのかもしれないですね。

Oh、もうすぐ12月だ。

よし、幸せになろう。

自分で自分がわからなくてあたりまえ

長野市に来ています。

とある方とのセッションを楽しんできました。

詳細は書けませんが、

僕についての一番の収穫は、

 

『自分がやりたい』と思ってやったことが、

実は無意識レベルでは望んでいなかったということ。

 

これは。。。

ムムムでした。。。。

 

自分が好きだから昔からやってきたことなのに、

知らないうちに自分を傷つけていることもあったんですね。

そんなSOSにも気づけなかったこと、

今は後悔している。もう戻ってこないから仕方ないんだけどね。

 

意識的に自分が『やりたい!』と思ったことでも、

実は【自分が心の底からやりたいことではない】場合もあるんですね。

 

ましてや、今の状態はまさにそのもの。

リアルタイムで自分がマトモかなんて判断できない。

でも過去を見すぎてもよくないことは腑に落ちたので、

今ここをしっかりと生きて、未来を生きていこうと思う。

 

 

会社とは

最近、記事をにぎわせている不祥事。

この『不祥』という感じを、

今の今まで『不詳』だと勘違いしていました(笑)

年齢不詳の『不詳』と間違って理解していました。

不祥事とは【よくわからないこと⇒よくないこと】だと思っていましたが、

正しくは【愛でたくないこと・不吉なこと】という意味のようです。

ハイ、漢字の授業は終了です。デハ(笑)

 

年齢不詳39歳独身が、不祥事について語ります、、、

とか言ったら、「見た目のことか?」と聞かれそう(笑)

 

辞典的な意味は、

『商行為その他の営利行為を業とする目的で設立した社団法人。株式会社・合資会社・合名会社などがある。』

だそうです。

へえ~へ~へ~、、、3へえ止まりでした。(笑)

まあ、営利目的と書かれていますから、利益が上がらないと何もならんと

いうわけですな。

利益ねえ。

どうですかね。。。

僕的な考えですが、

まあ、形があれどなけれど、それを売る=提供することによって、

見返りにお金をいただき、原価を除いたものを利益として給与として

社員に還元していく、みたいな感じなんでしょうかね。

 

ほんでですね。

ここからなんですけど、要は会社というものは、

人が動かしとるわけなんですよね。

独りで会社をやってたとしても、100人でやってたとしても、

100000人でやっていたとしても、

なんせ、人が会社を動かしとるんですよ。

ということは、

経済やら社会やらを動かしているのは、人が動かしているというわけですね。

で、

人が動くのは、人の心が人を動かしているわけなんですよね。

ということは、

人の心が会社を動かし、経済やら社会やらを動かしているという

構図が生まれるんですね。

10万人でも100人でも1人でも、

会社を作って運営しているということは、そういうことなんですよ(笑)

一見ピントがずれているようにも思えるかもしれませんが、

僕は人の心が経済や社会を動かしていると思うんですよね。

だから、今の経済のような『強い経済』という言葉が独り歩きする状況は、

正直怖いですよ。

お国が介入して強くした経済は、人の心が動かす経済とは意味が違いますし、

ここでいう強さはあくまで株価とかの話であって、

本当の強さは、個人個人が『自分が生きている価値がある』と認めることだからです。

 

この『人が会社を動かし、社会や経済を動かす』という概念を理解できてないから、

不祥事が沢山起こっているのではないかと思うんですね。

人事のようにして叩きまくる世の中、大分変だと思っています。

ええ、僕も変でしたから。(笑)

 

大きな根っこは人の心なんですよ。ゼッタイにそう。

心が歪めば、社会もゆがむ。経済もゆがむ。

仕組みを変えてもうまくいかないのはなぜか、

それは人そのものが変わらないからです。

会社を変えるとか大きな声で言う人いるけど、

経営者の人たちがいくら叫んだって、人の心が変わらないと何も変わらない。

 

じゃあ、人はどうやって変えるんだ?と思ったら、

、、、

これはまた別の回に書きます。

パクリと融合/表裏一体

前の記事で、こんなこと書きました。

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

 

今朝も宮島先生の本を読んでいましたが、、、

その前の話からします。(笑)

 

8年ぐらい前に心理セラピーを受けて、

そのセラピストの方が昔学んだNLPという心理学を勉強し、

そのNLPラーニングセンターというところでフォトリーディングという

読書法を学びました。

1冊1時間かからずに本を読める、

各ページを写真に撮るかのように読んでいくという、

(かなり説明下手(笑))

とりあえず、すごい読書法なんですが、

それを学んでから、

僕は心理学の本をフォトリーディングで読みまくりました。

恐らく100冊以上は読んでるでしょう。

ま、全ての内容をすぐに言えるようになるわけではありませんし、

神田昌典さんみたいに凄く読めるわけでもない。

だけど、たくさん読んだのですね。

ぶっちゃけ、ほとんどが脳が処理してくれるような読み方ですから、

いちいち覚えてられないわけですけど、

でも、たくさん読んだのです。(猛アピール)

 

昼間っからポテチにビール飲んでますけど、続けます(笑)

 

で、

昨日宮島先生の本の内容を読むまでの間に、

自分のBlogで本と同じような内容を何個か書いていたんですね。

自分がブログを書くときは、特に何か本を横に置いて書いたりはしないし、

引用するときは殆ど出典先を掲載するようにしているのです。

つまり、殆どの内容が自分の頭の中で形成されて、

文書になっていくんですね。

で、後から気づけば、同じ内容が何個かあったと。。。

 

でもって、ビール2本目に突入しますが(笑)

 

これは『パクリ』になるのでしょうか?

 

躁うつ病になってからは全然本は読めていないのですが、

その前に読んだ情報は実は脳、もしくは潜在意識に残っているんですね。

潜在意識に残っている情報は、ビックリするぐらい

リラックスしている状態で(ふぁっ)と出てくるんです。

最近でこそ乗れていませんが、中央本線であずさに乗っているときなんかは、

よく出てきます。

その時の驚きといえば半端ない。

「うぉーっ」って感じ。

自分天才か?って褒めまくりなんですよ。(笑)

 

下の写真をご覧くださいませ。

f:id:yamatoji-rapid0721:20171118134801j:plain

これはあくまでも僕の経験則ですが、

本を読んだことも含め、『できごと』とひとくくりにしますが、

『できごと』は潜在意識や脳にある2つのフォルダに振り分けられていく、

と【勝手に】僕は思っています。

一つ目は「教訓フォルダ」、もう一つが「トラウマフォルダ」です。

で、振り分ける契機となるのが、

自分もしくは他人の【判断基準】なんですね。

自分もしくは他人が「よかった・すごい・すばらしい」などの

プラスの判断基準でその『できごと』をとらえれば、

教訓フォルダに振り分けられます。

で、

自分もしくは他人が「ダメ・NG」という

マイナスの判断基準でその『できごと』をとらえれば、

トラウマフォルダに振り分けられます。

 

そういう仕組みが脳、もしくは潜在意識にはあるんではないかと思っています。

で、教訓フォルダの中では、

教訓として振り分けられた出来事が自然に体系化され、

しっかりとしたものに成長していきます。

要は確信をもってその出来事について語れるようになります。

個人的に僕は『融合』と呼ぶようにしています。

しかし、トラウマフォルダの中では、

トラウマとして振り分けられた出来事はそのままの形で残り、

どんどんと溜まっていってしまって、フォルダの容量をオーバーしてしまう。

【個人的に】その状態が『躁うつ病』と呼ばれる正体だと思っています。

 

あ、話それてる。ま、ビールのせいということで(笑)

 

で、融合されたこと、要は自分で体系化されたことは、

僕は『パクリ』には当たらないと思っています。

【よし、パクろう】

と思って意図的に使うことを『パクリ』と呼ぶんじゃないかと思っています。

 

ここ最近、ネット上で炎上しているパクリ疑惑の数々も、

本人が意図的に使おうとしない限り、

僕はパクリにならないと思ってるんです。

そんなこと言いだしたら、きりがない。

カバー曲という概念なんて成り立たなくなるもんね。

 

 

それと出したついでにもう一個だけ。。。

 

さっき書いた『できごと』が、教訓になるかトラウマになるかは

自分もしくは他人の【判断基準】で振り分けられるもので、

『できごと』自体は、いっさい、形も姿も変わらないものなのです。

 

このことに気付いた今、自分的にですが、

躁うつ病になった原因が

自分:他人=50:50(フィフティー・フィフティー)だとおもいました。

『できごと』に悪い付加価値を与えて、トラウマフォルダに入れたのが、

自分の場合もあるし他人の場合もある。

頑張りすぎとか人間関係もあるけど、

結果的にそれも含めて、50:50だなと思うんですね。

 

さて、この身体からのメッセージを踏まえて、

将来をどうするのか???

じっくり考えようではありませんか!!^^

やっぱり

メンタルのことしたくなってきた。。。

 

衝動を抑えられない。どうしよう。。。

やっぱ、躁なんだねwww

 

いいじゃないか。躁でも。

いいじゃないか。鬱でも。

いいじゃないか。普通じゃなくても。

いいじゃないか。普通でも。

 

なんでもいいじゃないか。生きてるならそれだけでいいんだ。

 

理由なんていらない。

理由なんか知らないよ。

 

今さっき、ある本を読もうとして、

目次を開いて、あとがき読んでびっくりした。

『体の声を受け取って、

 それらの病気に「ありがとう」といえた人は改善していきます』

 (出典:宮島賢也氏『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』)

 

本読む前から、ブログで自分で言ってた(笑)

でも、これから本読むけどね。ww

 

メンタルヘルスやら心理学やら、

心についての情報がいっぱいあふれているけど、

僕も情報を発信したりしたくなった。前からしてるけど(笑)

もっと積極的に!もっともっと!!

 

なんか、自分の生きる道開けた~

一本の道が目の前に見える。

生きる使命を見つけた。

 

会社だけじゃない、

社会、世界、経済、科学、教育、、、、

いろいろあるけど、結局動かしているのは人だ。

人が動くのは、心があるからだ!

心が病んだら、人は動けなくなるんだ!

人が動けなくなったら、みんな止まってしまうんだぞ!

会社だけじゃない、

社会、世界、経済、科学、教育、、、

 

自分はどうありたいか、ようやく見えたんじゃないか。

そうおもった、今日の午後。。。

さて、ビールでも飲もうか。。。

って、本読むんちゃうんかい!!!笑

 

生きてることに、ありがとう。

『死にかけた話は、

 今回に限ったことじゃありません!』

的なことを書きたくなったので、2本目アップします(笑)

 

何年前か忘れましたが、

通勤(当時は自転車通勤)の時に、

左折車に巻き込まれる事故に遭い、頭から落下。

当時からハゲ散らかしていましたので(笑)

アタマから流血しました。

救急車で運ばれて病院へ。

脳には異常なし、当直の先生が面白かったのですが、

半分笑いながら頭にホッチキスしていきます。

「エイ、エイ、エイ、、、もいっちょ、エイッ」

ホントに半笑いだったんですよ(笑)

夜間当直の先生って、大変だな~って思ったんです。

 

で、その時に身体に異常もなく、特に問題なく救われたので、

良かったのはよかったんですが、

当時、救急車で運ばれているとき、

自分が妙に冷静だったということが今でも鮮明に残っているんです。

事故のあった場所からどこの病院に搬送されるかわかんなかったんですが、

搬送中に、頭が低く身体が傾いていることがわかるんですね。

あ~相模原じゃなくて、境川の向こうの町田市の病院に行くみたいだな、

とか、なんとなくわかるんですよ。

これがあたりで、結局町田市の病院だったんです。

こればっかりは、自分でも当時冷静に「スゴイ」と思ったんですよね。

 

あと、当時NLPという心理学(芝健太さんのNLPラーニングセンター)を

学んでいたので、その事故の事実について辛いとは思ったものの、

「この事故から何かを得るはずだ」ということを、

救急車の中で漠然と思っていたんですよ。

今でもその時のことは鮮明に残ってるんですね。

 

そもそも、なんで今こんなことを思い出してるのか??というと、

僕は武田鉄矢ではないので、「僕は死にましぇ~ん」とか言わないですよ(笑)

まだ異常なので正しい考え方かどうかはわかんないですし、

まだ2017年も1.5か月ありますから、どうなるかわかんないですけど、

今回の躁うつ病にかかったこと、

やっぱりマジthank youって感じ??(笑)

真面目に言うと、、、

<<死ぬほど貴重な体験>>ということ。

交通事故で頭打った時より、派手に事故った今回のこと。

事故だ、躁うつ病なんか。

もちろんならないほうがいいさ。

だから、音声もyoutubeに上げたり、

同じような辛い経験をしないように

アクション起こしたいって、今でもマジに思うよ。

 

ってかさ~、

交通事故に1回あって死にかけて、

鬱病で3回自殺しかけて死にかけて、

今、生きてるんだよ。

 

どんだけ波乱万丈なんだよ!!(笑)

 

休んでるときにネットでうつ病になった人の経験談聞いた。

色んな人が沢山なってる。

みんな波乱万丈だけど、事故で無くなった方もいたけど、

なんだかんだみんな生きてるんだ。

 

39歳の学びだよ。まさに「thank you」だよ。

生きてることに、ありがとう!だよ。

そして、マジ痛切に思う。

この後の俺の人生、めちゃくちゃよくなるわ。絶対。

今はまだ冷静じゃないから詳細は描けないけど、

手応えは、鬱の時も、躁の時も、今も、変わらずある。

3回死にかけた後からずっとある。

絶対間違いない。

もう最強の人生になる。

絶対に間違いない!!

視野の話

はい。ただいま(笑)

日本一早い終電車みたいですね。。。。

 

いや~大分身体が軽くなってきた感じがしますね。

と、【現段階では】思います。

 

え~と、何の話しようかな。ですね。

バスの話します。

時系列でダラダラ書きます。

 

11月1日

休職明け初めての出社の日。

前日からもう緊張ハンパなくて、、、、という感じでした。

バスに乗るのは少し抵抗がありましたので、

行き帰りは歩いて帰りました。

 

11月2日

この日も夕方だったので歩いて出社、

帰り、少し緊張しましたがバスに乗って帰りました。

10分程度なので、怖くなかったです。

 

11月6日

バスで会社に向かい、

出勤して、すぐ帰る、という訓練をやっているのですが、

帰りのバスは、ある意味通学時間帯でラッシュなんですね。

学生さんも多く、高校の最寄りのバス停でたくさんおりていきました。

 

11月7日

同じくバスで会社に向かい、出勤してすぐ帰ります。

最近のバスは車いすの人も乗車できるようになっています。

通過する停留所の前に、身体が不自由な人のための支援施設があり、

車いすで通う人が乗っていました。

最近のバスの運転席には、停車ボタンを押した時の赤い「停車」ランプ以外に、

車いすの方のための停車ボタンがあり、

オレンジ色の車いすの絵の描かれた停車ランプもあるんです。

それが点灯すると、運転士さんが乗車用中ドアの下にある板を出して、

介助して降車のお手伝いをする、という仕組みになっています。

知りませんでした。

でも、車いすでの通学って本当に大変そうだな。。。と思うのでした。

 

11月8日

帰りのバスで、

ちょうどロングシートが1か所空いていたので、着席しました。

前日の車いすの人は乗っていました。

車いすの方が降車ボタンを押しました。

通常の降車ボタンとは違う位置についていました。

運転士の方が座席をもとの位置に戻しているのを見ました。

足元のペダルを踏むと固定が解除されて、

椅子を上げたり下げたりできるようになるみたいです。

 

。。。と、

こんな感じで出社直後1週間の僕の通勤訓練の話をしたのですが、

最初と最後の違いわかりましたか?

最初のうちは僕はバスに乗って会社に向かうことに必死でした。

移動中にはあまりスマホはみませんので、

どこか1点をぼーっと見ていたり、窓の外を見ていたりするだけでした。

でも、徐々に色々なものが見れるようになっていったんです。

乗車している人がどういう人か、

車いすの人がどれぐらい大変な思いをして乗っているか、

車いすの人のためにバスの設備がどんどん良くなっていること、、、

 

で、タイトルの「視野」の話になります。

躁うつ病の時は本当に視野が狭まりました。

1点しか見れてないです。

うつの時も、躁の時も両方です。

まだまだ異常なので、狭い視野でしか見れていないのですが、

心が落ち着きを取り戻せるようになると、

視野が自然と広まるようです。

 

これ、躁うつ病の時に限った話ではないと思います。

僕の経験上ですが、

心が穏やかでないときや、妙にテンションが高い時は、

基本的に視野は狭くなります。

穏やかな時には、視野はそれなりに広くなると思います。

 

心の波と視野は連動しています。

旅先で心が癒されているときに、

突然自分の中で凄いアイデアが浮かんだり、

冷静に分析出来たりすることがあるのは、

心の波が穏やかになって視野が広がったからなのかな~と今は思います。

 

このこと知ったのもあってか、

最近楽になってきたな~と思いました。