名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

奇跡と感謝について

奇跡って言葉が好きな人が多いですね。

 

でも、奇跡って連呼している人、

正直、びみょーです。(笑)

 

はっきり言います。

奇跡を起こしたいと思っている人には、

奇跡は起こらないです。

それは、奇跡とは何かを知らないからです。

 

『今という時間を生きていること』が奇跡なのです。

 

一瞬一瞬が奇跡なのです。

奇跡がつながって線になって連続するのが人生なのです。

 

辞書サイトにある奇跡の意味は、

  1.  常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。「―が起こる」「けががなかったのが―だ」

  1.  キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象。

  2. とか載っていますが、
  3. 僕は3つ目の項目に、「生きていること」と入れてほしいぐらい。

 

だからこそ、

毎日、当たり前に生きていること、

生きるという奇跡についてしっかり向き合わないで、

文句ばっかり言っている人には、

倖せは実感できないのです。

生きているという奇跡に感謝して、

初めて倖せを実感できるのではないでしょうか。

 

さて、今日も一日奇跡を味わえたことに感謝して、

ゆっくりお休みするとしましょうか(笑)

倖せに悩もう

悩みにも『前向き』と『後ろ向き』があります。

 

倖せに悩もう、という提案は一見矛盾しています。

でも、後ろ向きに悩むよりは、

はるかに

前向きに悩んだほうがよさそうに思いません?

それが『倖せに悩む』ということです。

 

なんとなく、オチはお分かりかとは思いますが、、、(笑)

 

『今が倖せであるという前提で、

この先に訪れる未来をどう生きていこうか?』と考える、

とでも定義しておきましょうか。

 

そうすると、

過去も倖せだったと考えられるようになりそうですよね。

 

自分の生い立ちをお話しするのはあまり好きではないですが、

裕福な自宅(周りの建売住宅より大きな実家)に生まれ、

兄に厳しく教育する両親、

片や黙り込んで泣いて、口論しているのが怖くて仕方なかった。

そして社会人になるまで、そのループ。

お金のことでもめる両親を見ていて、

「喧嘩はやめてほしい」といったが、

別に喧嘩はしてないと一蹴された子供のころ。

そんな両親を見て育った自分。

いち早く次男の僕は実家を出ます。と言っても24歳。

 

そして社会人16年目の今年まで、

大きな山と谷をいくつも超えて、

今は谷の底からはいずりあがった。

今年の谷は深かったあ。

もう出れないかもと思って、あきらめかけたこともあった。

だけど、何とか抜け出せそう。

 

そんな人生の谷底からはいずり出た僕にとって、

今現在は『倖せ』なんですね。

そんな今現在、この先訪れる未来をどう生きていこうか

と考えているんですね。

要は、『倖せに悩んでいる』状態なんです。

そんな状態の僕にとって、

これまでの過去は倖せに輝く過去だったと思えるのです。

なぜならば、

今生きている、という当たり前のことが、

超貴重なことであるからなんです。

 

ポイントはたった一つ、

【今起こっていること、一つ一つが超貴重で、

 それがつながって超倖せな人生を作り出している】こと。

 

もう、倖せだ、という事実に気付くこと。

それだけなんです。

 

今、裕福な時代になった今現代。

その「当たり前の倖せ」に気付けなくて、

それを不幸だと勘違いして、

本当に不幸になっている人が幾人いることでしょうか。

本当は不幸じゃないのに、不幸になっていく人がいるんです。

本当は倖せなのに、不幸になる人がいるんです。

 

お金があってもなくても、

愛する人がいてもいなくても、

仕事があってもなくても、

人生とは何かという問いに答えられても答えられなくても、

とにもかくにも、、、

今生きている人はみんな倖せなんですよ!

今生きている人はみんな倖せなんですよ!

今ある幸せに目を背けて、

辛いとか、うっとおしいとか、色々なことに文句付けて、

不幸になろうとする人が本当に多い。

 

今生きている人へ、

もうすでに、本当に幸せなんですよ。

不幸を作り出すのはやめましょ。

そういう人たちは、お互いの不幸の上塗りをしてしまって、

結局もっと不幸になるんです。

 

多分永久保存版。

倖せに悩むこと、始めてみませんか?

自分を追い込むのをやめよう

もうやめましょう。

自分に過度に期待しすぎることはやめましょう。

過度に倖せになりたいと思い込むのはやめましょう。

 

もうやめましょう。

今以上に無理やり倖せになりたいと思うことをやめましょう。

今以上に無理やり自分を高める努力をすることをやめましょう。

 

もうやめましょう。

 

今のままの自分で十分素敵なのですから。

今のままの自分で十分価値があるのですから。

今のままの自分で十分倖せなのですから。

 

倖せとはいったい何でしょうか?

それは、

『今、自分が、今ここを生きていること』です。

 

お金がない、と自分を追い込むはやめましょう。

能力がない、と自分を追い込むのはやめましょう。

ハンデがある、と自分を追い込むのはやめましょう。

辛い辛い、と自分を追い込むのはやめましょう。

 

全部、自分に暗示をかけているのですよ。

 

本当は倖せなのに、

あたかも「ないない」尽くしで不幸になろうとしている。

不幸になろうとすることにエネルギーを注ぐのはやめましょう。

 

身体だって知ってますよ。

だから『気を付けて!』というサインも込みで、病気になるのですよ。

もう無理する必要はないんだ、と身体は教えてくれてるんですよ。

『今生きてることの意味を分かってほしい!!』

命がけで、身体が生きることの倖せを教えてくれてるんですよ。

 

もう、やめましょう。

自分を追い込むのはやめて、

自分の倖せをかみしめて、

一歩一歩、自分のペースで進んで行きましょう。

一歩一歩、自分のペースで進んで生きましょう。

 

 

投影

時分の周りに病んでいる人がいて、

それを悪く言ってしまっていませんか?

 

自分の嫌いな人のことを見て、

それにイライラしてしまっていませんか?

 

対象の相手の「病んでいるところ」、

対象の「嫌いなところ」、

それは全部自分の「病んでいるところ」「嫌いなところ」。

これ、確か心理学用語で『投影』って言ったと思います。

 

意識にはもちろんありません。

ただ、無意識に感じている「病んでいるところ」「嫌いなところ」なので、

自分のことだとはなかなか気づけないんです。

 

この無意識の感じていることが、

相手の行動と合致した時、意識では気づいていない無意識の同じところですから、

意識的にはそれは拒絶しようとします。

だからイライラしちゃうんですね。

 
f:id:yamatoji-rapid0721:20171216064136j:image

人とのコミュニケーションの下での、

大なり小なり起こるトラブルのほぼ全ての原因はこれです。

『相手の行動は自分の鏡』なんて言ったりしますが、

その理由は単純明快、これだったんです。

今、イライラしている人、

何か怖いものがある人、

怒っている人、

周りに見かけたら、投影のせいだと思ってほぼ間違いないと思います。

 

対処方法はないです。

言っても、意識と無意識の話を理解できてない人にはなかなか通じませんし、

そこに労力を使ってもリターンは少ないですからね。

ただ、その光景を見て、

自分がつらい思いをしそうになった時、

「かわいそうに~」と相手を思い、

自分には「ああならないように気を付けようね~」と

自分に向き合うしか方法はないです。

 

相手のイライラ、怖い、怒りに付き合う必要はありません。

自分からそちらに迎合しようとするから余計に辛くなります。

極論その矢先が自分に向かったとしたならば、

思うことはただ一つ『相手は不幸だ/自分は幸せだ』ということだけ。

相手の不幸に自分が合わせる必要なんかないんですよ。

 

周りの人だって

周りの人だって

生きてます。

 

だから、

『倖せ』なはずなんです。

どれだけ不幸感が漂っていたとしても、

生きている限り価値があり、

生きている限り倖せである、、、はずなんです。

 

だから、

周りの人たちも倖せなんだ!と心の底から認めること。

多分、これに尽きるんじゃないかなと思います。

幸せになる勇気とは?

連投すみません!

 

さて、幸せになる勇気とは、

一体何なんでしょうか?

 

????

 

幸せになる勇気とは?

 

僕は一つ、確信して思うのが、

不幸せに合わせない事。

初めはうわべでも

心の底に侵蝕するのが不幸せ。

 

だからこそ、

無理をして不幸せに合わせない、

うわべでも合わせると、

癖になって抜け出せなくなる、

麻薬並みに危ないんですよ。

 

生きること、

すなわち幸せ。

 

生きること、

すなわち幸せ。

これに尽きる。

 

幸せとは?

あなたにとって、幸せとは何ですか?

 

???

 

あなたにとって、幸せとは何ですか?

 

???

 

あなたにとって、幸せとは何ですか?

 

???

 

それは、考えていた『今、その瞬間』です。

 

今、その瞬間(とき)を生きていることです。

 

もう、すでに、満たされているのです。

 

当たり前すぎて気が付かないことですが、

もう私たち、満たされているんです。

 

少し辛い話しますが、

不幸せとは何か?

『当たり前の幸せに気づかない』ことです。

『満たされている自分に気付かない』ことなんです。

 

また、不幸を引き寄せる魔法の呪文があります。

それは

『幸せになりたい』ということ。

幸せになりたい、と口に出して言ってしまうのは

現状を否定しているんですものね。

今、幸せじゃないから、幸せになりたいと願う。

幸せになりたい!と言えば言うほど、

現状否定を積み重ねることになりますから、

幸せから遠のいてしまう、

または、幸せとの距離が縮まらないのでしょうね。

 

人の幸せと書いて『倖せ』という字もありますね。

 

もう僕は『倖せ』です。

 

 

 

今生きている。。。

もうすでに幸せなんです。

何も言うことがないんですよ、本当は。。。