名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

眠れないとき

眠れないとき。

眠れない=眠ることが出来ない

というネガティブな単語から、

極力ネガティブな要素のない単語に

置き換えます。

 

眠れない=起きてる

という具合に。

 

で、

その後ろに、

【理由があるから、楽しもう】

と続けます。

 

今回の場合、

【起きてる理由があるから、楽しもう】

となります。

 

で、起きてることを味わう。

ここでいう「味わう」とは、

【起きてることに集中する】こと。

 

味わってると、

起きていたいから、起きていたと気付きます。

【起きていたい】が起きてる理由だったと気づけました。

 

全てに当てはまるとは言えませんが、

個人的にはこの考え方もありかなと思いました。

循環

神社に行き始めて1年が経過しました。

去年の1月、職場の方から教えていただいた、

寒川神社に初詣に行き始めたのがきっかけでした。

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

 

あれから1年、今年は前厄だということもあり、

土曜日の日中に厄払いに行きましたが、

今年は『素晴らしい1年になりますよう・・・』とはお祈りはしていません。

 

実は僕がパワースポットと称したものに興味をひかれだしたのは、

このタイミングでした。

ちょうど、自由大学で<自分の本を作る方法>という講義を受けているときに、

神社学の先生の本を紹介されたこと(のちに買いました)。

その少し前から、パワースポットにも興味があったのですが。。。

 

今となっては笑える話ですが、

僕は辛い自分の現状から抜け出すために、

パワースポットや神社に行き始めた!というのが実際です。

そう、『他任せ』ですね。(笑)

または『神頼み』でしたね。

会社帰りに遠回りして小さな神社に行くのも、

最初は神頼み。

神様がいる、神様に助けてもらいたい!という気持ちからのもの。

 

もちろん、セミナーなどで自己啓発!なんてやっていたのも、

結果的には

『セミナーに行って、自分をよくする方法を知るため』

に行ってました。

 

そう、まさに他任せ!

自分ではない他人や外側からの知識に目を向けることでしか、

僕はよくなれないと思い込んでいました。

 

じゃあ、昨年の初詣で祈願した

『2017年の素晴らしいストーリー』は、実現したかというと、

結果的にはどん底まで落ちたけど、

振り返れば素晴らしい1年だったということになります。

本気で自分を見つめなおした1年だったし、

自分がどうしてこうなったのか、

その原点に到達できたし、

その原点も実は自分の勝手な思い込みだったし、、、

 

心のことを学び始めて約8年、

お手伝いいただいた方は数知れません。

色々なことを学んできて、一番の収穫は

『自分で自分を信頼すること』

『他人の人生を生きないこと』

でしか、

自分の人生を切り開けない

ということでした。

 

他人の人生を生きるということは、

自分の人生を生きてないこと。

だから、人のせいにしたくなることばかりが目立つ。

自分の人生を生きてないということは、

自分の内なる可能性に信頼を寄せていないから、

諸悪の根源は自分だと思い込んでしまう。

 

ではなくて、

自分の人生を生きること。

自分の人生を生きるということは、

自分の内なる可能性を信じて生きるということ。

自分の内なる可能性を信じることで、

自分の人生を生きている実感が出てくる。

自分の内なる可能性を認めることで、

自分のできたことに目を向けられるようになる。

そして、自分の人生を実感できるようになる。

あ、戻ってきちゃった(笑)

 

あっ!!

内なる可能性を信じると、

倖せのループに気付く

ことが出来るんじゃないかな、と

今、気づきました(笑)

 

あ、それにもう一個気づいた(笑)

倖せは皆の共通のものだということ。

自分だけじゃない、周りの人に共通するんだということ。

そして、その共通の倖せは

生まれたときから備わっていること。

これ、前も書きましたっけ( ̄▽ ̄;)

だから、倖せは独り占めできないもの。

株式投資と一緒。経済と一緒。

倖せは独り占めできません

ということは、

自分の内なる可能性に気付ければ、

他人の内なる可能性も

信じられるようになる。

 

おお~我ながら凄い気づきだ。

倖せも循環するものと考えると、

明日からもっと細かい気づきが得られるんだろうな~。

ゆっくり

ゆっくり歩こう

 

朝の通勤だって、

少し早めに起きて、

セカセカしないように、

少し早めに家を出て、

ゆっくり歩こう

 

帰り道もユックリ歩こう

 

急いでも差は数分

その分だけ

じっくり味わう

今を味わう

今を味わう

今に感謝する

感謝を感じる

 

自分にありがとう!と言う

生かせてくれて、

自分にありがとう!と言えたら、

朝の重たい足取りが、

少し軽くなりませんか?

 

休みの日も、ユックリ過ごしませんか?

仕事の日でも、ユックリ歩きませんか?

 

ココロに余白を作りませんか?

 

余白は自分の素晴らしさを

改めて感じさせてくれますよ

余白は自分の魅力を引き立たせてくれますよ

 

自分は素晴らしいと気づくためにも、

自分は素晴らしいと認めるためにも、

自分は素晴らしいと受け止めるためにも、

ココロに余白を作りませんか?

 

ユックリ、

ゆっくり、

歩きながら

ゆったりしながら

自分を

味わいませんか?

毎日精いっぱい。

急な訃報、

急な事故死、、、、

 

一日仕事が終わって、

バスの中でボケーっとスマホ見ていたら、

元アナウンサーの訃報、

そして自衛隊のヘリ墜落の事故、、、

 

数年ぶりにテレビを見れるようになったのだが、

なんでテレビを見ててこんな切ない気持ちになってしまうんだろう、

と思った。

 

でも、一日を細かく振り返ってみると、

本当にどうでもいいことでも、倖せを感じることが出来る。

節分を2日過ぎたが、

夕方スーパーでまだ節分豆が売っていた。

思わず2日分買ってしまった。

僕はゆでた豆が嫌いだ。

豆みたいな頭をして申し訳ないが、

大豆で食べれるのはきな粉か節分豆しかないのである。

節分豆がコンビニやスーパーで陳列され始めてから、

年の数は関係なく普通に食べまくっている。

知らなかったのだが、大豆は体にいいらしく、

食物繊維がたくさん入っているそうで、

他にも栄養が良く、1日50g以上は食べるといいとか。

ホントかウソかわからんが、そうらしい。

今年からはまった??大豆というか、節分豆。

もう立春過ぎてから、コンビニはバレンタイン商戦。

もう会えないと思った矢先に、

お~最後のワゴン販売。。。

誰に何と言われようとも、

これで倖せを感じた自分がここにいる。

たかだかそれだけ?と言われても、

僕は倖せなんです。

 

まだまだ病を乗り越えてる過程ではありますが、

僕は生きているだけで

倖せだとずっと言っています。

毎日毎日精いっぱい生きて、

小さくても大きくても、

倖せをかき集めていくだけ。

休むときは精いっぱい休む。

動くときは精いっぱい動く。

自分をしっかりと感じる。

お金がなくても、

顔がダサくても、

太っていても、

彼女いなくても、、、、え?悲しくなるって???(笑)

俺は倖せなんや!!

生きてるだけで倖せなんや!!

別に無理して倖せやて虚勢を張る必要はない。

無理しないでいい。

自分に出来る精いっぱいで生きればいい。

今の自分に出来る精いっぱいは、生きること。

毎日精いっぱい生ききること。

それが生きていることと、

自分への感謝だから。

勝負という幻

昔こんなこと言われました。

『このままチームをやめたら、お前は負け組だぞ。

 きちんと良くなって、ここに戻ってこい!』

小学校の時、やりたくない少年サッカーをやらされました。

兄もやっていたというだけで、無理やりやらされた。

やりたくないサッカーを5年間も。。。

親が半ば無理やり継続させた感じでした。

 

大学生になって初めてアルバイトを始めたところでも、

色々あってブチ切れてバイト先をやめようとしたとき、

3流よりも低俗な社員に同じこと言われました。

『このままやめたら、お前は負け組だ!』

 

それ以外にもあと数回言われてきています。

 

当時もつい去年まででもだったのですが、

僕自身そんなにメンタル強くなかったから、

そのまま、はあ、と言ったりして聞いてしまい、

その辺の言葉を浴びせられると、

本当に負けたかのような気分になりました。

 

で、、、それから1年経過した今、ふと思う疑問があります。

。。。

負け組って何すか?

何をもって勝ち組で、

何をもって負け組なのか?

お金か?

地位か?

名誉か?

成功か?

起業独立か?

結婚か?

高級住宅か?

どんな状態を勝ち組というのか?

僕は8年前の自分の理想は、

ソロモン流に出るような人たちだった。

多分、成功とかできる人とか、そういうイメージしかなかったし、

社会人になったら、お金をためて、結婚して、幸せな家庭築いて、、、

ということを教育されてきたと思う。

 

野宿している人たちは負け組か?

103系の引退の時、写真を撮りに大阪の新今宮駅周辺をふらついたことがある。

あの辺りはアウトロー生活の人たちが非常に多いが、

彼らは倖せかどうかは僕にはわからない。

彼らが不幸だと思っているのは、

アウトロー生活をしていない自分たちの思い込みだ。

僕がお世話になったコーチングの方から勧められた、

精神科医神田橋條治先生の本にもありましたが、

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4422115448/ref=oh_aui_detailpage_o04_s00?ie=UTF8&psc=1

一番ストレスから遠いところは、あのアウトロー生活だと書いてありました。

 

キングコングの西野さんの講演で、

50円で何でもやりますという芸人さんの話を聞いたことがあります。

芸人さんだけど金はない。

でも、食事には苦労してない。

色々食べさせてもらっている。

だから、倖せに生きているという話です。

 

つまり、

生きている限り倖せでありますし、

みんな勝ち組でも負け組でもないの!

それでも「いや違う!負け組はいる!」って思う人は

勝手にどーぞ!!!

 

もし仮に、

お金・地位・名誉・成功・起業独立・結婚・高級住宅・・・

とか、自分にないものを持っているという人が身近にいたとしても、

その裏にはとんでもない苦労が潜んでいるんです。

今、成功したかのようにみられる人でも、

苦労の連続が沢山あるもんです。

人生トータルで考えたら、

足しても引いても、

プラスにもマイナスにもなりません!

ゼロです!!!

だから、勝ちも負けもありません。

 

もともとの能力の差はあったとしても、

それは勝ち負けには該当しません。

競技でも勝った負けたとよく言いますが、

あの日本語は間違っている。

能力が秀でているかそうでないかだけ。

勝っている人が倖せかと言われたら、

絶対本人はNo!というでしょう。

 

本当の倖せは

『生きていること』そのもの

であります。

勝つこと・負けることは存在しません。

だから、勝ち組・負け組なんて存在しません。

だから、周りの人たちみ~んな倖せなんですよ。

感謝の対極にあるお金と便利さ

仮想通貨のニュース、

暴落したとか。。。よく聞きますが。。。

 

もう、たくさん、酢酸、パクチーさん!?><

同じことは言っている人が多いと思いますが、

この仮想通貨に手を出した人は、恐らく硬貨ではなく、

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紙幣でこんな感じ⇧になれると思っていた人でしょうね。

これが倖せ=理想になっていたんでしょうね。

 

その昔19世紀ごろに存在し始めた、

クレジットカードのあたりから、

段々お金に対しての感覚が変わってきたのでしょうね。

そして、乗車用カードが出始めたころから、さらに激変していくのですね。

某ワキペデ〇アによるとこう記されています。

公共交通機関を利用する際、乗車時・降車時に読取機に情報を読み取らせるだけで運賃の支払いが可能なカードである。通常のプリペイドカードと同様、事前に代金を支払って購入し、残額がゼロになるまで繰り返し利用できる。

日本では1980 - 1990年代以降、バスや鉄道などの運賃収受システムとして、日本国内各地で導入されるようになった。また日本では2001年からは非接触型ICカードによる物が普及しつつある。

バス・路面電車においては乗降客が整理券を取る・小銭を両替する・運賃を確認し収受箱に入れる等の煩わしさから解放される、また鉄道においては、利用者が出札口や自動券売機並んで乗車券を購入する必要がなく、これにより事業者側は自動券売機の設置台数を減らせる、などの利点がある。

さらに非接触型ICカードの場合、カードを(財布などから)出し入れする必要すらない

乗車カードによってはプレミアム(おまけ)やポイントが付くこともある(後述)ほか、

カードに乗車情報を書き込むことができるので、

乗車カード利用者限定の乗り継ぎ割引制度を設けている事業者もある。

読み取り機・自動改札機で直接使用する他に、乗車カードによっては、

自動券売機での乗車券・料金券(特急券など)の購入や 

自動精算機での不足運賃の精算(乗り越し)などにも使用できる場合もある。

システム面の観点からはストアードフェアシステム(後述)である。

鉄道においては磁気乗車券用改札機の実用化が要件であった。

当初は事業者ごと・乗車カードごとに独立したシステムで共通化されていなかった場合が多かったが、

非接触型ICカード式システムの普及とともに、複数の事業者でカードが共通化されていることも多くなった。

 

父親が通勤定期券を持っていて、

期限が切れた定期券を欲しいと言って、

もらっては喜んでいました(笑)

僕が生まれたころには、

実家へ向かう私鉄では自動改札機が導入されていましたが、

国鉄の時代は改札口には駅員さんがいて、

切符の捺印をしてもらっていましたね。

 

時代が変わり、ICカードで電車・バスに乗るのが当たり前の時代。

そして、コンビニでもICカードがあれば買い物出来るようになった。

お金→クレジットカード→ICカードの流れで、

便利になった反面、大事なものを失います。

それは、、、

コミュニケーションです。

例えば、自動改札機。

国鉄では、駅員さんが改札で立っていて、

乗車券に捺印をしてもらい「ご乗車ありがとうございます」

と言ってもらって、電車に乗り、

降車して駅の改札を出るときに、

「ご乗車ありがとうございます」と声をかけてもらえる。

しかし、

地元の私鉄では自動改札機が導入されていて、

自動券売機で切符を購入して、

そのあと自動改札機に切符を投入して、乗車する。

降車して駅の改札を出るときに自動改札機を通るだけ。

 

高速道路もそう。

昔は対距離料金制の高速道路では、

入り口料金所で係員から通行券をもらい、

降り口料金所で通行券を渡して料金を手渡し、

係員からおつりと領収書をもらう。

今ではETC。レーンを通過しても、料金がいくらか表示されるだけだし、

ETCでなくても自動精算機になってしまった。

 

最近では自動決済のできるコンビニも出来てしまっている。

 

人と人との交流が

少なくなってしまっているのですよね。

 

お金が電子化されてしまい、

世の中がどんどん

自動化・便利になるになればなるほど、

コミュニケーションが

どんどん希薄になっていく。

そして、そこから

どんどんお金に対する

感謝の念が無くなる。

 

例えば電車で最寄駅から町田に出るまで、

ICカードなら154円、

きっぷなら160円。

ではこの差は何か?

磁気切符の代金なのでしょうかね。

磁気切符にかかわる費用を捻出することで、

安く乗車できるようになり、

そこから駅の窓口の駅員が減らせる時間が増え、

やがて無人駅へと変化していく。

そうすることにより切符など諸経費を削減でき、

その上駅員の過剰労働を削減できる。。。

 

公衆電話→携帯電話やスマホへの変化

手紙→mailやSNSへの変化

お金→電子マネー

 

経済学部出身の僕が言うのもなんですが、

お金の電子化と便利がセットになって、

人と人とのコミュニケーションを失い、

人間としての倖せを

忘れさせているように思えます。

便利を追求するためには、国も補助金という名の借金で

便利に拍車がかかるように仕向けていきます。

もちろん自分が便利さの恩恵を受けているのは承知の上で言ってますし、

クレジットカードを含めた電子マネーで自分も恩恵を受けています。

その中で思うのは、

何らかの形で

お金が出ていくときや使う時には、

お金を使う先にあるものへ

感謝の気持ちを感じなければ

いけないかなと思います。

ものを購入するときでも、

ものを遣えるようになることのメリットを生み出してくれたメーカーさんへ、

交通機関を利用するときでも、

交通機関を利用できることにより

移動が出来る、早く移動できることに対して、

「ありがとう」と心から思ってお金を使う

ということが大事なんだと思うんです。

コンビニで店員さんに「ありがとうございました」

バスの降り際に運転手さんに「ありがとうございました」と

大きな声で言っている人はほとんどいません。

売り手に対して

感謝の気持ちを

伝えることが出来ない人は、

自分自身への感謝の気持ちを

伝えることもできないし、

自分自身が生かせていただいている

今この瞬間にも感謝出来ていない。

 

いっそのこと、江戸時代のようにお米でものを購入したりすると

世の中逆によくなったりして。。。

 

 

怒りと愛情

僕は怒られるのが嫌です。

今でもやっぱり嫌です。

自分の価値を否定されているような気がしてしまいます。

誰から何を怒られても、多分引くでしょうし、

自分の価値を否定されているような気がするから、

余計に怖がって嫌なんだろうと思います。

<自分のことを思いっきり棚に上げておいて>

怒られるのが嫌なんです。

 

でも、ここ最近気づいてきたこととして、

前にも書きましたが、

怒りにはそれ相当なエネルギーが伴います。

わざわざ人がエネルギーを使ってまで、

誰かに怒るということは、

その怒りの先にいる人への愛情が詰まっているようです。

と同時に、

自分への愛情表現でもあると僕は思っています。

そう、ここで言う自分への愛情表現とは、

内なる自分=無意識への愛情です。

内なる自分を守ろうとするがゆえに、

内なる自分を大切に思う気持ちが強いゆえに、

怒りというものが起こるんじゃないかなと思うんですね。

 

いや、もっと言えば、そういう考えのほうが後々楽です(笑)

 

なんか怒ること=ストレスみたいな感じで、

怒らない/怒られないほうがいいんだ、なんて思っていたら、

おかしくなっちゃったという経験がありますから。

怒りは愛情表現であり、

その愛情相手と内なる自分への愛情と思えば、

怒られているのも怒っているのもストレスに感じないかもしれません。

パワハラとか言われたらいやだけど、

ま、個人差ありますけどね。

 

詳細は書けないですが、

怒られない人のほうが

実は裏で嫌われているなんて話、よくあるじゃないですか。

実際に今、客観的に周りを見回してそういう人たちがいるって気づけて、

あ、俺ってスゲーって自分で思ってます(笑)