名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

感謝の対極にあるお金と便利さ

仮想通貨のニュース、

暴落したとか。。。よく聞きますが。。。

 

もう、たくさん、酢酸、パクチーさん!?><

同じことは言っている人が多いと思いますが、

この仮想通貨に手を出した人は、恐らく硬貨ではなく、

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紙幣でこんな感じ⇧になれると思っていた人でしょうね。

これが倖せ=理想になっていたんでしょうね。

 

その昔19世紀ごろに存在し始めた、

クレジットカードのあたりから、

段々お金に対しての感覚が変わってきたのでしょうね。

そして、乗車用カードが出始めたころから、さらに激変していくのですね。

某ワキペデ〇アによるとこう記されています。

公共交通機関を利用する際、乗車時・降車時に読取機に情報を読み取らせるだけで運賃の支払いが可能なカードである。通常のプリペイドカードと同様、事前に代金を支払って購入し、残額がゼロになるまで繰り返し利用できる。

日本では1980 - 1990年代以降、バスや鉄道などの運賃収受システムとして、日本国内各地で導入されるようになった。また日本では2001年からは非接触型ICカードによる物が普及しつつある。

バス・路面電車においては乗降客が整理券を取る・小銭を両替する・運賃を確認し収受箱に入れる等の煩わしさから解放される、また鉄道においては、利用者が出札口や自動券売機並んで乗車券を購入する必要がなく、これにより事業者側は自動券売機の設置台数を減らせる、などの利点がある。

さらに非接触型ICカードの場合、カードを(財布などから)出し入れする必要すらない

乗車カードによってはプレミアム(おまけ)やポイントが付くこともある(後述)ほか、

カードに乗車情報を書き込むことができるので、

乗車カード利用者限定の乗り継ぎ割引制度を設けている事業者もある。

読み取り機・自動改札機で直接使用する他に、乗車カードによっては、

自動券売機での乗車券・料金券(特急券など)の購入や 

自動精算機での不足運賃の精算(乗り越し)などにも使用できる場合もある。

システム面の観点からはストアードフェアシステム(後述)である。

鉄道においては磁気乗車券用改札機の実用化が要件であった。

当初は事業者ごと・乗車カードごとに独立したシステムで共通化されていなかった場合が多かったが、

非接触型ICカード式システムの普及とともに、複数の事業者でカードが共通化されていることも多くなった。

 

父親が通勤定期券を持っていて、

期限が切れた定期券を欲しいと言って、

もらっては喜んでいました(笑)

僕が生まれたころには、

実家へ向かう私鉄では自動改札機が導入されていましたが、

国鉄の時代は改札口には駅員さんがいて、

切符の捺印をしてもらっていましたね。

 

時代が変わり、ICカードで電車・バスに乗るのが当たり前の時代。

そして、コンビニでもICカードがあれば買い物出来るようになった。

お金→クレジットカード→ICカードの流れで、

便利になった反面、大事なものを失います。

それは、、、

コミュニケーションです。

例えば、自動改札機。

国鉄では、駅員さんが改札で立っていて、

乗車券に捺印をしてもらい「ご乗車ありがとうございます」

と言ってもらって、電車に乗り、

降車して駅の改札を出るときに、

「ご乗車ありがとうございます」と声をかけてもらえる。

しかし、

地元の私鉄では自動改札機が導入されていて、

自動券売機で切符を購入して、

そのあと自動改札機に切符を投入して、乗車する。

降車して駅の改札を出るときに自動改札機を通るだけ。

 

高速道路もそう。

昔は対距離料金制の高速道路では、

入り口料金所で係員から通行券をもらい、

降り口料金所で通行券を渡して料金を手渡し、

係員からおつりと領収書をもらう。

今ではETC。レーンを通過しても、料金がいくらか表示されるだけだし、

ETCでなくても自動精算機になってしまった。

 

最近では自動決済のできるコンビニも出来てしまっている。

 

人と人との交流が

少なくなってしまっているのですよね。

 

お金が電子化されてしまい、

世の中がどんどん

自動化・便利になるになればなるほど、

コミュニケーションが

どんどん希薄になっていく。

そして、そこから

どんどんお金に対する

感謝の念が無くなる。

 

例えば電車で最寄駅から町田に出るまで、

ICカードなら154円、

きっぷなら160円。

ではこの差は何か?

磁気切符の代金なのでしょうかね。

磁気切符にかかわる費用を捻出することで、

安く乗車できるようになり、

そこから駅の窓口の駅員が減らせる時間が増え、

やがて無人駅へと変化していく。

そうすることにより切符など諸経費を削減でき、

その上駅員の過剰労働を削減できる。。。

 

公衆電話→携帯電話やスマホへの変化

手紙→mailやSNSへの変化

お金→電子マネー

 

経済学部出身の僕が言うのもなんですが、

お金の電子化と便利がセットになって、

人と人とのコミュニケーションを失い、

人間としての倖せを

忘れさせているように思えます。

便利を追求するためには、国も補助金という名の借金で

便利に拍車がかかるように仕向けていきます。

もちろん自分が便利さの恩恵を受けているのは承知の上で言ってますし、

クレジットカードを含めた電子マネーで自分も恩恵を受けています。

その中で思うのは、

何らかの形で

お金が出ていくときや使う時には、

お金を使う先にあるものへ

感謝の気持ちを感じなければ

いけないかなと思います。

ものを購入するときでも、

ものを遣えるようになることのメリットを生み出してくれたメーカーさんへ、

交通機関を利用するときでも、

交通機関を利用できることにより

移動が出来る、早く移動できることに対して、

「ありがとう」と心から思ってお金を使う

ということが大事なんだと思うんです。

コンビニで店員さんに「ありがとうございました」

バスの降り際に運転手さんに「ありがとうございました」と

大きな声で言っている人はほとんどいません。

売り手に対して

感謝の気持ちを

伝えることが出来ない人は、

自分自身への感謝の気持ちを

伝えることもできないし、

自分自身が生かせていただいている

今この瞬間にも感謝出来ていない。

 

いっそのこと、江戸時代のようにお米でものを購入したりすると

世の中逆によくなったりして。。。

 

 

怒りと愛情

僕は怒られるのが嫌です。

今でもやっぱり嫌です。

自分の価値を否定されているような気がしてしまいます。

誰から何を怒られても、多分引くでしょうし、

自分の価値を否定されているような気がするから、

余計に怖がって嫌なんだろうと思います。

<自分のことを思いっきり棚に上げておいて>

怒られるのが嫌なんです。

 

でも、ここ最近気づいてきたこととして、

前にも書きましたが、

怒りにはそれ相当なエネルギーが伴います。

わざわざ人がエネルギーを使ってまで、

誰かに怒るということは、

その怒りの先にいる人への愛情が詰まっているようです。

と同時に、

自分への愛情表現でもあると僕は思っています。

そう、ここで言う自分への愛情表現とは、

内なる自分=無意識への愛情です。

内なる自分を守ろうとするがゆえに、

内なる自分を大切に思う気持ちが強いゆえに、

怒りというものが起こるんじゃないかなと思うんですね。

 

いや、もっと言えば、そういう考えのほうが後々楽です(笑)

 

なんか怒ること=ストレスみたいな感じで、

怒らない/怒られないほうがいいんだ、なんて思っていたら、

おかしくなっちゃったという経験がありますから。

怒りは愛情表現であり、

その愛情相手と内なる自分への愛情と思えば、

怒られているのも怒っているのもストレスに感じないかもしれません。

パワハラとか言われたらいやだけど、

ま、個人差ありますけどね。

 

詳細は書けないですが、

怒られない人のほうが

実は裏で嫌われているなんて話、よくあるじゃないですか。

実際に今、客観的に周りを見回してそういう人たちがいるって気づけて、

あ、俺ってスゲーって自分で思ってます(笑)

 

 

 

触媒

なんか書きたかったんだけど、

何だったっけな~~~~

 

ああ、思い出した。。。かも(笑)

 

ゴスペルにここ1年行ってなくて。。。

という話でした。

 

で、

 

落ち着いたら戻ろうかとは思っていたのですが、

諸事情あり、完全に退会します。

 

(理由)お金がない

会費だけでも数千円かかるのに加え、

恵比寿に行く往復運賃が1300円で、月3回。

首都圏に通勤定期があるでもない僕にとっては、

とても厳しいものでした。

歌のために年間10万以上も費やすなんて、

今の手取りじゃとてもじゃないけど無理だと気づきました。

一番の理由はそこです。

 

(お金以外の理由)

音楽は好きなんだけど

好きにとどめておくぐらいのほうが自分にはちょうど良いと気づきました。

ゴスペルというか、ユニットを組んで沢山の人とハーモニーを奏でる。

僕が親の影響を受けてオフコースが好きだったのもあるかもしれませんが、

ハーモニーは大好き。

今でもデュオが好き。

ゆずやコブクロチャゲアスだって今でも聞く。

だけど、、、、

誰かと合わせて何かを作り上げることが、

物凄く難しい状況にあります。

人の好き嫌いとか、歌の好き嫌い以外の問題です。

そこに費やせるだけのエネルギーが今は枯渇しています。

自分が生きるだけで、

精いっぱいなんです。

というか、

今回どん底まで落ちて気づいたんです、

妙に無理しようとしていた自分に。

そういう意味では、子供のころからずっとそうだったかもしれない。

大人に好かれたい、

他人に好かれたい、

嫌われたくない、、、

ありのままの現実を受け止めないまま、

自分が無難に生きれるようにするために、

少しでもかっこよくみられるために、

大人の言うことをそのまま聞き、

言われたままの生き方を30過ぎてもやってた。

それに疲れた!と去年、身体と心が悲鳴を上げました。

歌もその影響があったかもしれない、今ではそう思います。

 

正直ここまで正直に話すのもどうなんだろうとも思いますが、

今では、それを隠しながら生きることのほうが

よほど重たい荷物を持っている、そんな気すらします。

 

今はまだ、五里霧中の状態にかすかに光が差し込んだぐらいで、

まだまだ見えないことばかりなのですが、

少しずつ明るくなれるように、

少しずつ手放していく最中であると。

その一つが歌うことの価値感の変化だとおもっています。

 

歌うことには何かをよくするものはある、とは言えますが、

僕はそれを「チカラ」と定義したくはありません。

本来持ち合わせている人間としての魅力を浮かび上がらせる、

なんといえばいいのだろう。。。(笑)

単語力なさ過ぎ。。。汗

触媒??(笑)←化学かww

でも、そんな感じ。

酸素があると燃える火が勢い良くなるような感じ。

そかそか、触媒とか言うよね。

触媒
化学反応の際に、それ自身は変化せず、
他の物質の反応速度に影響する働きをする物質。
 
 
あ~、
最近なんか色々文字に起こしてると深いところに気づきが生まれるな~。
 
見方によっては、
自分の周りにあるものみんな、触媒なんだろうね。
もしくは、
自分も触媒でありえるわけか。。。
<それ自身は変化せず他の物質の反応速度に影響する>んですもんね。
 
ほぉ~~
 
ほぉ~~~~
 
触媒ね。。。
 
果たして、どれぐらいの人がその辺のことを考えているのやら。。。
 
なんか、まだまだきれいにまとまらないから、
また別途書いてみようかな~。
あ、これ、熟成ですね(笑)
 
 

神様と仏様

思ったことをつらつらと。。。

 

あ~な~た~は~➹

か~み~を~➹

し~んじ~ますかぁ~➹

 

で、僕のことを話すと、、、

『神様がいるかどうかは別にして』

暇さえあれば、神社に行くようにしてます。

会社の工場の真横にある神社にはほぼ毎日、

家から歩いて一番近い神社にはほぼ毎週末、

初詣と厄払いを兼ねて、去年から寒川神社でご挨拶してます。

 

こんな書き方したら、

神様が

『あ~???you何言ってんだよ???』と

キレるかもしれませんが、

僕は、神社に行ってるだけです。

神様が存在するかしないかは別。

 

前にも書いたかもしれないですが、

神社に参拝するときに、

そこに神様がいるとか、

神様に守ってもらってるとかではなくて、

神様の前で自分が何かをお願いしたり、話したりしていることを

自分が客観的に見ているだけなんですよね。

だから、昨年9月以降は殆どの神社参拝は、

近くでも遠くでも話すことは

『僕は生きてるだけで倖せです。

 生かせてもらって、ありがとうございます』

仕事帰りも神社で言うのは

『今日も仕事出来ました。ありがとうございます』

ということだけ。

これは神様に生かせていただいていることへの感謝、

というよりも、

生きていこうとしている自分への感謝なんですね。

 

神仏の話になるとあれなので、

仏の話、お寺とかお墓とかの話しも勝手にしますが、

僕はお墓参りをあまりしませんでしたが、

今思うことは、

お墓参りはお世話になった故人、

おばあちゃんやおじいちゃんと話をする場所だと思っています。

でも、僕はおじいちゃんのお墓参りを大昔してから、

多分十年以上ぶりに去年の年末にお墓に行き、

お墓の前で土下座をしてお詫びをしたんですね。

生前分与してもらった遺産のお金を全部使い果たしてしまい、

お酒と女に消えてしまった僕、

今では借金まで抱えている僕、

情けない僕で本当に申し訳ありませんでしたと土下座しました。

誰もいなかったから恥ずかしがらずにできたけど、

でも、誰かいても平気でやっていたかもしれない。

 

神様とはちょっくら考え方は違うけど、

僕は故人も個人も魂は生きていると思います。

だから、

毎年、もしくは盆と正月は実家に帰って、

お墓参りするべきだったのを20年以上さぼってきたし、

両親も「わざわざ行かなくていいから」と言ってきてたし、

その辺もあって去年にしてもそうだし、

ここしばらくの低空飛行な感じがあったのかもしれません。

ああ、そうだったのか。。。今自分でブログ書いてて、

色んな事が落ち着きました(笑)

 

やっぱり文字に起こしていくことって、

頭で考えていることを整理出来ていいみたいですね。。。

 

カネとヒト

僕の敬愛する片づけ心理研究家の伊藤勇司さんから教わった

お金磨きで、

磨いた5円玉。

 

平成生まれの5円さんと、、、
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昭和40年代生まれの5円さん。

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どちらも、同じような輝きをしています。

 

お金磨きを教えてもらったのは、

2015年に出版された

『部屋は心を映す鏡でした』という

書籍の出版記念WSでした。

タバスコで強固な汚れを浮かせてから、

歯磨き粉で磨くというやり方。

しっかしこれがまた、すごいの。

上の写真みたいに、輝きを取り戻すんですね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、このWSに参加したある人が、

お金と相思相愛になるんだって言って、

お金風呂をやったらしいんですよ。

誰とは言いませんけど。。。

お金風呂といえば、

万札風呂かと思いきや、、、、

クリックすると新しいウィンドウで開きます

年収400万ちょっとの39歳独身男性なので、

やったのはバスタブにお湯をはって、

湯船につかりながら小さな入れ物にタバスコ入れて、

5円玉を磨いたそうで。。。

沢山5円玉、10円玉に1円玉もあって、

10円玉はタバスコが無くなったために、

また別の機会にということになったらしいのですが(笑)

 

た、確かにお金の気持ちになってみようということで、

思い付きでやったにしても意外な盲点が、、、

まず、タバスコ。

お風呂に浸かっているということは、

その人も裸なわけで。。。

タバスコのほんのわずかな1滴が入ったらしく、

身体があちこちひりひりするそうで、

特に両手と顔は大変なことになったらしいです(笑)

次に、歯磨き粉。

お風呂の湿度も高く、

水蒸気に交じって磨き粉の成分が飛んでいるらしく、

顔への刺激がとても大変だったらしいです(笑)

 

あほですよね~(笑)

 

で、そのあと、お金の歯磨き粉をとるために、

風呂桶にボディーソープ入れて、しっかり洗って、

タオルでキレイに水分をふき取ったらしいんですね。

それだけならともかく、

自分もお金の気持ちになってみようということで、

自分の頭から足先まで手で洗ったそうです。

いつもはタオルで身体を洗うのに、それをやめて手で洗ったとか、、、

バスタオルもお金を拭いたタオルで、

自分の身体の水分をふき取ったらしいんですよ。

ホントにあほですよね(笑)

 

でも、その人曰く、

『お金の汚れって、ここまでしないと落ちないぐらい酷いんやね』と。

『出来立てほやほやの5円玉は黄金に輝いているのに、

 汚れて汚れてくすんでいくんやね~

 なんか複雑な気持ちになった』とのこと。

どうしてか尋ねると、

『ヒトもそういう感じなんかもしれんなと思ったんよ。

 おぎゃあと生まれたときには黄金に輝いていたのに、

 教育や環境の変化でだんだんくすんでいってるみたいで、

 なんとなく自分と重ね合わせてしまった。

 自分も大分汚れが落ちたと思っていたけど、

 なかなか落ちない汚れもあるみたい』

みたいなことを言ってました。

 

ったく困ったもんですよね~。

お酒も飲んでいないのに、急に思い付きでこんなことやるなんて。。。

ホント、バカですよね~(笑)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

上のお話が誰の話かは別として(笑)

 

お金の汚れのように、きつい刺激(タバスコ+歯磨き粉)を与えなければ

汚れが取れなくなってしまうような、

そんな周囲の環境に毒されていくと、

苦闘の日々を送らなければならなくなるようになります。

こればかりは、実話です。

でも、本当は同じ人間なのですから、

ホントは出来立てほやほやの5円玉と同じように、

黄金に輝いていたはずなのに、、、

生まれたときの自分と同じように、

自分が嫌いな人も生まれたときは輝いていたんだろうな。。。

と思えれば、

少しは心も軽くなれるかもしれません。

 

ということを考えられれば、

まだまだ週の半ばでも、少しは身体が軽くなるかなと思いました。

 

 

あっ、

明日からお金を使う時に、さん付けしてみようっと。

1円さん、10円さん、千円さん、万円さん。。。

わくわくしません?(笑)

ゼロ

生きてるだけで、倖せですよね~という話を前からしてます。

 

今より良くなりたい~なんて思わないで、

今のまんまでいい~と思ってるほうがいいと思います。

 

前に書いた、人間の動物的本能でも似たようなこと書いてますが、

生まれたときから人間だし、

成長して大人になっても人間だし、

老いてよぼよぼになっても人間だし、

天国に行っても見えなくなるだけで

それまで人間として生きてきたことは

紛れもない事実だし。

 

要するに、ず~っと人間だということ。

 

お金とか地位とか結婚とかで差が出たとしても、

みんな平等に人間なんですね。

脳みそが発達しているとか、

生きるセンスとか、

なんでこうも人は違うんだといいたくなるけど、

多分、予測ですが、プラマイゼロ

みんな平等になるようにできている。

それが世の中や人生の仕組みだと思っています。

 

今年の初めごろにも書きましたが、

1秒の積み重ねが1分、

1分の積み重ねが1時間、

1時間の積み重ねが1日、

1日の積み重ねが1か月、

1か月の積み重ねが1年、

1年の積み重ねが一生、

という話を書きました。

 

1秒、1分を大切にできていないと、

そのツケが必ずどこかでやってくる。

1秒、1分をいい加減にしていると、

そのツケが必ずどこかでやってくる。

 

お金・地位・恋愛とかでの差は見た目だけで、

実際は違ってたりする。

例えば、、、

お金の差の裏側には、努力や苦労が隠れている。

地位の差の裏側には、人間関係の辛さが隠れている。

 (上司と部下の関係、中間管理職での上下の板挟みなど)

恋愛の差の裏側には、

何よりも相手を優先せざるを得ないつらさが隠れている。。。

 

結果的には、ほとんど結果はプラマイゼロ。

 

 

突出した倖せというのはないんですね。

結局ゼロになるんだから。

であるならば、

僕は小さな倖せだけでも十分かもしれない

と思います。

毎朝起きることが出来ている。

会社に行けている。

バスが走ってくれている。。。。

小さなことに感謝しながら、倖せに生きていければ、

突出した倖せはもういらないかもしれないですね。

今ではそう思えます。。。。

今までは、大きな倖せばかり望みすぎていたり、

高い自分を望みすぎていたようですね。

 

毎日生かせていただいているって、

本当に倖せですよね。

 

空も鏡

 

facebookにこんな記事載せました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

近所の国道16号線の歩道。
1枚目は北側、2枚目は南側です。
太陽を浴びる時間が長い場所ほど、
雪解け進みますね。

あ~、太陽の光って、大事だなあ。
あ~、そういえば人も
太陽の光を浴びるって大事だってきいたけど、
同じことかぁ。

太陽が出ていても、
雲に隠れて出ていなくても、
空を見れば癒やされていくんだなぁ~(^^)

画像に含まれている可能性があるもの:屋外
画像に含まれている可能性があるもの:屋外
画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外、自然
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
で、まあ、
この話の続きでも書こうかと思っております。ハイ。
 
人も太陽を浴びたほうがいい、という話ですが、
これは、うつ病になった人や、うつっぽい人にはお勧めですよ、という内容です。
ある方から送っていただいた、記事の内容を抜粋で掲載します。
出典はわかりません。
 
(記事の抜粋)
現代人には足りてない! ビタミンDの抗うつ効果
多くの現代人にはビタミンDが不足しています。
最新の研究によれば、最も注目される栄養素としてビタミンDが挙げられ、
健康の維持・増進のためには、
従来考えられていたよりもより
多くのビタミンDを摂取する必要のあることが統一見解となっています。
そのため、
ビタミンDは普段からサプリメントにて摂取することが
推奨されている数少ない栄養素のうちのひとつです。
ビタミンDは、細胞の増殖を促すことで知られ、
美容効果はもちろんですが、
脳細胞を活性化することによる
うつ病パニック障害の改善に大きな期待が寄せられています。
うつ症状が見られる患者にビタミンDの摂取を推奨する医師も増えていると聞きます。
うつ病の疑いや大きなストレスを感じた際に、
自分でできることとして、
まずはビタミンDを摂取してみることは大変におすすめできるものです。
 
一日の基準摂取量
一日に3000UI以上の摂取が効果的とされます。
一日の摂取量が10000UIを超えると弊害が出始めるとのことですので、
5000UI程度かそれ以上が抗うつ効果の期待できる摂取量であると考えます。
 
サプリメントで補給することが推奨される
食事から取る場合、魚類には豊富なビタミンDが含まれています。
鮭の切り身は手頃でありビタミンDも多く含まれるので、
毎日の食事に取り入れたいところ。
また、ビタミンDの大きな特徴として、
紫外線を浴びることで体内で生成されることが挙げられます。
よく晴れた日に外に出ると清々しい気分になるのは、そのためかもしれません。
オフィスワークの人は、休憩中に少しでも外に出て太陽を浴びるだけで、ストレス対策になります。
(抜粋以上)
 
というわけで、
太陽を浴びるといいらしい、ということが書かれていますが、
僕はもう少し違う角度から、最初のfacebookの話と絡めてお話ししてみます。
 
太陽を浴びるというのは、
僕は心の氷を融かすためだと思います。
心の氷とは、自分を取り巻く様々な環境から自分を守るための、
いわば鎧のようなもの。
職場復帰の際に、軽作業ということで僕は周辺の清掃を行いました。
これも、外は寒いけど身体を動かすし暖かくはなりますし、
さらに言うと太陽を沢山浴びることが出来ます。
僕はたくさんの太陽を浴びることによって、
心の氷=自分が恥ずかしい思いをしたくない!という強い思い
が、見る見るうちに解けていきました。
人から叱咤されることに極端におびえていた、
両親の兄へのしつけを見たときのトラウマ、
そこから芽生えてきた社会人での上司から叱られたくない!という思い。
怒りのエネルギーについては、
下記の記事にて書きましたが、

大嫌い!大嫌い!大嫌い!大好きっ!Ah~!! - 名前のないブログ

このような理解になれたのも、

生きてるだけで倖せ!という考え方になれたのも、

太陽によって自分の心の氷が解け始めたからだと思っています。

 

もちろん、長期間お休みし、リハビリしたうえで復帰しているので、

その効果もあるだろうと思いますが、

自分が自分をしっかりと見つめられないのであれば、

それは自分が見たくない何かを抱えているから。

その見たくない何かが僕は心の氷だと思っています。

どんな氷なのかは、人によって様々ですが、

僕は意識的に太陽を浴びることによって、

空をじっくり眺めることによって、

大事なことに気づけたと思っています。

天気が悪い日でも、休憩時間は外に出て空を見る。

重たい雨雲の向こうには、絶対太陽があります。

そうでなければ、日食以外はあたりが真っ暗になっているはず。

雨雲の向こうにある太陽にも、

青空の時の太陽にも、

同じ度合いで感謝が出来るようになった。

 

太陽はいつでも太陽なんですよね。

太陽がないなんてことはない。

死ぬまで太陽にはお世話になる。

ごくごく当たり前なことなんだけど、

それに感謝出来ると本当に倖せな毎日を過ごせている自分に気付く。

そうすると、空は鏡のように自分を映し出してくれる。

嗚呼、倖せな毎日を過ごさせてくださって、

本当にありがとう。本当にありがとう。