名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

偉大

謙遜ていうんだっけ。。。

卑下っていうんだっけ。。。

『自分みたいなものが』とか、

何か褒められたら『いやいや、そこまででは・・・』と言ってしまうの。。。

 

もう長年の癖がこびりついてて、、、

自分は本当は偉大なのに、

偉大じゃない、って思いこむの。

 

自分みたいな者が。。。なんて、どうして???

なんで相手より下なんだよ。。。

っていうか、

みんな生きてるだけで偉大なんだよね、一人一人が偉大なの。

 

もうこれは、降参するしかない。

もう生きてるだけで偉大なんだ、と思うしかないの。

みんな偉大なんだから、選択肢がそれしかないの。

生きてるだけで偉大だから、

謙遜なんて本当は必要ないの。

取引先と会社との関係とかではないからね。

人間関係は基本そう。

 

誉め言葉はありがたく受け取る。

「ありがとうございます」ってハッキリと受け取る。

ありがたくいただくわけです。

 

そして、一人一人が偉大なんだから、

相手も偉大なの。

だから、相手にもその思いを伝えるしかないの。

対等に偉大なんだからね。

 

もー、謙遜なんかいらない!!

 

優劣なんて大した差じゃない。

みんな偉大なの。

存在してるだけで、偉大なの。

人を馬鹿にしている人も、実は偉大なの。

罵倒ばかりする上司でも実は偉大なの。

一人一人が偉大なの。

ということは、優劣なんか意味ないの。

優れてようが優れてなかろうが、

みんな偉大なんだから。

 

自分が偉大だということ、

すんなり受け止めたらいいじゃんね。

もう誰にも負けないとか言わないで、

みんな平等に偉大なんだよね。

だから、素直に受け取ろう。

自分の偉大さを素直に受け取ろう。

価値ノート

死にたくなったあのころ、

僕には生きる価値がないと思っていた。

 

自分が生まれてきたのは、

願って生まれてきたわけではない。

たまたま今の両親のもとに生まれた。

たまたま成績優秀な両親のもとに生まれた。

両親に産んでもらったことを感謝出来ていなかった。

 

こんなところまで落ち込んでいたけど、

考え方が変わっていったきっかけが、

価値ノートというワークだった。(自分が勝手に作った!(笑))

 

とある方のセッションを受けた時、

【Aであっても、Aでなくても、私には生きている価値がある】

という考え方を教えてもらった。

その時に、

Aのところに、いま、自分でざわざわしていることをどんどん当てはめて、

一冊の手帳に書きなぐっていった。

それが価値ノートである。

 

 

僕は強くても強くなくても、生きている価値がある。

僕は怒られても怒られなくても、生きている価値がある。

僕は涙を流しても涙を流さなくても、生きている価値がある。

僕はお金があってもお金がなくても、生きている価値がある。

僕は他人に評価されても評価されなくても、生きている価値がある。

僕は彼女がいても彼女がいなくても、生きている価値がある。

・・・

 

100円均一の手帳を1ページ1文で余白を気にせず書きまくる。

不思議なことに、半年薬を服用してても全然変化がなかったが、

このノートを書き出したあたりから、心が少しずつ軽くなっていった。

 

そして、最終的には去年の師走に

【生きているだけで倖せだ!】という境地に至るのです。

 

自分に自信が持てなくなってきたとき、

特に無価値観を感じる日が多くなってきたとき、

このノートを作ることをお勧めします。

そして、回復したりダメになったり不安定になったら、

自分が書いた価値ノートを読み返すと、

少し元気になるし、安定しますよ。

 

一度お試しあれ。

 

 

受け取る

日曜日にとあるワークショップで、

自己紹介をした後に、

自己紹介した当人の印象を5つ挙げる、というワークをしたんですね。

一人が発表したら、

周りの10人が普選にその人の自己紹介から感じる

良いことを5つ挙げてもらえると。

 

で、意外な結果が(笑)

何と、一番自信がなかったのに、

「話が分かりやすい、面白い、上手」といったコメントが

一番多かったんです(8票)

次いで「親しみやすい」(3票)

「優しい」(2票)などでした。

 

特に「話が上手」系のコメントはものすごく意外だったし、

自分の中でざわざわしたんですよね。

関東に来て10年になりますが、

関西出身の割にはつまらない関西人、という自虐ネタで笑いを取っていた。( ̄▽ ̄;)

話しがうまいなんて全然言われると思ってなかった。。。

 

と思っていたのですが、

色々考えていくうちに、

覚えてないけど、

これまでの人生で「話が上手」とは沢山言われていたのかもしれない。

だけど、心のどこかで、

「話し上手」であってはいけない!と思い込んでいたかもしれない。

だからこそ、

「話し上手」という言葉を受け取らず、そのまま流してしまっていたのかも

と思った瞬間、

あ~もったいない!!!とひしひしと感じました。

 

よく「受け取り拒否」とかいう言葉聞くじゃないですか。

まさにあれですね。

別に気にすることなく、「話し上手」だと思って、

内心(それ、いただき!ありがと~!!)ぐらいの軽さでいただけばいいんですよね。

 

倖せ

カッコイイ

お金持ち

女性に愛される

信頼が厚い・・・

 

ありたい姿があるのに、なかなかなれないのは

受け取り拒否していること。

無意識の中で、

「自分は~であってはいけない」とかたくなに拒否している。

そのままでは何も生まれないので、

残りの2週間で今月中に受け取りたいものをしっかりアップして、

しっかり自分に教えてあげようと思う。

 

日常

まだ電車が少し怖い。

自称鉄オタなのに、何やってんだ(笑)

 

渋谷で11時からの予定に間に合うようにするとなると、

ぎりぎりつくようにと思えば、

田園都市線と山手線がソコソコえらいことになる。

混雑した車内がまだ慣れないのもあり、

朝早くおきて、3連休の中日であることを考慮して、

無難なのは8時までかも?と推測し、

町田→オバQ→新宿→埼京線→渋谷

というマニアック経路で、渋谷へ。

横浜線も、オバQも、埼京線も皆すいていた。

で、到着したのは7時(笑)

 

あちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!

 

やりすぎた(笑)

 

でも、まあいいか。

とりあえず、時間をつぶせばいいだけだし、

ま、何とでもなるし。

 

まずは、行きたかった朝早めの金王八幡宮へ。

雨上がりの空気の潤いと、春近しという暖かな朝。

穏やかな気持ちで手を合わせました。

 

なんだか、知ってる渋谷とは全然違うんだな。。。

 

そして、

すいてそうなカフェに行って、ブラック2杯で3時間粘ってやりました(笑)

休日の朝早めの渋谷のカフェは、意外とすいてるもんです。

だから、静かで案外快適に過ごせると発見できたんですよね。

 

なんだか、知ってる渋谷とは全然違うんだな。。。

 

10時過ぎ、気分転換も含めてcafeを出て、

太陽が出ていたので、近くまで線路沿いをゆっくり散歩。

へ~、穏やかな感じがまたいいね。

 

11時からの用事も無事終わり時間は18時前。

 

さて、どうやって帰ろうか。。。

 

用事があったのは渋谷駅新南口近くで、

湘南新宿ラインが最寄となります。

そこで、帰りは、

渋谷→湘南新宿ライン東海道線茅ヶ崎→相模線→橋本→帰宅

当然グリーン車、渋谷駅の人混み(山手線周辺)を歩くことを考えたら、

割高でもストレスがないルートを選ぶ。

まあ、なぜ相模線を経由するかは置いといて( ̄▽ ̄;)

 

茅ヶ崎のサザンの発車メロディーを聞いて、

相模線へトコトコ乗り換える。

 

相模線は幹線でも単線。

4両のローカル色の強い30歳の若造が、頑張っております。

あ、俺もうすぐ40歳w

 

せっかくなので、乗りたい電車にも乗っておかないとね。

 

 大したこと書いてませんが、

これが⇧R⇧の日常だと思っていただければ幸いです。

日常の視点と空気感をちょっと変えるだけで、

ストレスが軽減するんですよね。

朝の渋谷は目からうろこでした。

神社に行くときも近くにジャージ姿の人。

コンビニで買い物でも行くみたい。

そう、渋谷にも住んでる人がいるんです。

熱帯夜で大変、眠らない夜、109前のスクランブル交差点、

人がごった返す町、というイメージ。

でも、騒々しい場所ばかりが渋谷じゃない。

静かな空間も探せばいくらでもある。

 

そして、静かな空間を自分も作り出せることも必要かな。

混雑するスジの列車を無理して選んで乗るよりも、

出来る限りリスクとストレスを回避するために、

どうするか考える。

通勤帰宅ラッシュが嫌なら、渋谷に住むのもあり。

騒々しい雰囲気が嫌なら、少し外れの渋谷。

もしくは始発列車で渋谷に向かう。

帰りは終電やめて、違うルートで帰るもよし。

何でもあり。

無理して疲れない方法を考えないと、

本気で疲れて大変になるんですよね。

無理しない。無理しない。

 

日常。

改めない

「言葉」とか「文字」の続編みたいなんですが、、、( ̄▽ ̄;)

 

漢字って、あんまり好きじゃなくなってきました。

余りにも露骨な感じがすごく好きじゃなくて。。。

 

構造改革とかの、「改」なんて漢字は凄く嫌ですね。

なんか、改めるって

意味的には「今までと違った状態にする」ということらしいですけど、

ニュアンスには現状否定がどうしてもありますよね。

それに、「✖」があるのが凄い嫌(笑)

現状に「✖」付けて、否定されたうえで、状態を変えるってことか。

何だかいやな漢字だよね~。

改革なんかより、「向上」とか「更新」とか、

言葉変えればいいんですけど、なかなかそうもいかないみたい。

 

 

何でもそうなのかもしれないですけど、

今の現状を否定して、新しいものに、という発想は、

個々人でも同じで、良くなりたい!と思えば思うほど、

今までの自分を否定したくなるもの。

だけど、今までだって、今だって、これからだって、

自分は自分なんだから、

今までの自分を否定したら、

今の自分も、これからの自分も否定することにつながらりゃせんかと心配。

(これはあくまで潜在意識の話)

だから、今までも、今も、

自分のことを認めることから始めていくと、いいのかもしれないですね。

 

辛いなと思う時、

やっぱり自分を責めて、ダメだダメだと言っていることが多かった。

だけど、きちんと自分を認めてあげることで、

自分は過度に自分を否定しなくなる。

そこに初めて自分への愛が生まれるのかもしれない。

自分を変えたいと思ったときほど、

過去の自分をしっかり認めてあげる。

 

今の自分があるのは、過去の自分の集大成。

今の自分は、いつでも過去の自分の集大成。

 

過去の自分を否定すると、

今の自分を否定することになる。

未来の自分も否定していることになる。

 

僕はそれを繰り返していたために、色々なところで拗らせました。

自分を認める。

正直辛くて難しいけど、これが出来れば辛くない。

怖いものは一つもない。

今をひたすら認めていく。

それが一番大事かもしれないと思う。

 

改めない、まずは自分を認める。

文字

今日のBlogから

フォント、色、文字の大きさを変えるのやめました。

 

思っていることがあります。

テレビで何でもテロップに出すの、

字幕放送だったら配慮とわかるけど、

ボケとかを大きな文字で出すとか、最近のトレンドですよね。

昔はありえなかった。

 

なんだろ。。。「ここで笑え!」とか指示されてるみたい。

一種の脅迫みたいに思えるんですよね。

ちょっと違うでしょ。

と言いつつ、

僕も伝えたいことは大きな文字にしたり、

派手なフォントの色にしていたけど、

誰がどんな内容を読んでどんなことを感じても、

それって自由なんですよね。

だから、等しく文字を並べる、というほうが本当はいいんだろうな。

それをそのまま読んで、

個々人がどう思うともそれは個々人の自由。

表現も自由だけど、受け取るのも自由だからね。

ということを思いめぐらせて、

フォントを統一する、そんな結論に至りました、とさ。。。(笑)

 

言葉

言葉の力ってすごい。

 

言霊とはよくぞ言ったもんだ。

 

言葉には魂が宿る、らしい。

 

たましいとは、

『身体に宿って心の働きをつかさどる』とされるもの。

ということは、

言葉には、心の働きをつかさどるものが存在しているということか。

ふむふむ、、

ということは、

言葉一つで心の働きが変わるということか。

なるほど。。。

つうことは、

 

余り前向きじゃない言葉はやめたほうがいいな。。

なんなら、前向きな言葉に無理やり変換してしまうか!(笑)

 

悩む=前向きに考える

辛い=心が癒しを求めている

泣く=心の水を放水する

怒る=自分への愛を最大限に表現する

むかつく=あ、自分そうじゃん!!

期待する=無理せずいこう!

勝つ=生きてる限りみんな勝ち!

負ける=生きてる限りみんな倖せ!

死ぬ=あの世で倖せに生きている!魂は現在も生きている!

仕事行きたくない=仕事に行くより、今を生け!!

お金がない=生きてる価値はある!

 

無理やりにもほどがある(笑)

 

何でもいいんですよ。

マイナスのエネルギーを言葉にしようとしている部分は認めつつ、

その表裏一体にあるプラスの表現を考えて無理やり口にするだけで、

全然自分の空気感が変わります。

 

いや~

言葉ってすごいですね~^^