名前のないブログ

書きたいことをツラツラ書いていきます。変なこともいろいろ。。。(笑)

完璧でなくていい

どーして100点取ろうとしてしまうのでしょうか。。。

 

ああ、そういえば今でも覚えてるな。

中学の数学の試験で、最初100点だった。

だけど、1か所採点ミスがあって先生に修正を依頼しに行くとき、

物凄く勇気を出した。

だけど、そのまま100点であることが耐えられなかった。

罪悪感が物凄くて、他の人の目線を気にしながらも、

前にでて、先生に修正してもらった。

 

今は優等生だからといって、生涯安泰じゃない。

有名大学を出たからと言って、

安泰じゃない。

心が病めば一貫の終わりなんです。

 

今の自分のこと、どうも何度もダメだダメだと言っている。

どうして100点を目指してしまうんだろう。

40点でも幸せな人いっぱいいるよ。

20点の人でも、お金持ちいっぱいいるんだよ。

 

今となっては、正直両親の教育には賛成できない部分が多い。

だけど、当時は間違ってなかったと思う。

だけど、今じゃ時代が変わっちまったんだよね。

だから、変わった時代をしっかり受け止められるか、が問題なんだと思う。

 

点数じゃないんだろうね、きっと。

じゃあ、なんなんだろう???

何なんだろうな。。。

 

もう少し落ち着いてから考えるとしようか。

上から目線のメルマガに注意

うつ病でしんどくなる前に、僕は自己啓発のために、

自分のためになる「かもしれない」人のメルマガなどに登録しまくっていました。

特に【無料】という文字にあほみたいに反応し、

登録しまくっていたんです。

 

でも、うつ病でしんどくなったら一切見なくなったんです(笑)

どうしてか???

見るだけでしんどいからです。

療養休暇の期間中、

ただでさえ重たい体に重たい心を持ち、

過行く時間の遅さに気が狂いそうな毎日を過ごしていたのに、

『前向きに頑張っていこうぜ!!ゲッツ!!!』みたいなメール、

どうしたら読む気になれるねん(笑)

 

まあ、躁になったらなったで、出しゃばりな自分も顔を出してしまって、

youtubeで音声残したりしてるし。。。(笑)

でも、これはこれで、今となっては勇気を出せてよかった事例なので、

躁は躁で侮れないんですが。

 

で、メルマガの話。。。(笑)

某、メールマガジンで配信されてきた内容に

『凡人のための…』というタイトルの音声が入っているものを見つけました。

頭の中にカッチーン、という音が鳴り響き、

自分がブチ切れてしまいました。

僕の心の声は、

「ワレ(関西弁:「あなた」という意味)、何様やねん」

メルマガ送信者は、

コンテンツビジネスで成功した起業家とうたっている人です。

この起業家、めんどくさいのでコイツと呼びますが(笑)

コイツはウン十万という値段でコンテンツを売りつけています。

起業して成功した瞬間、

自らを起業家と名乗り、高額のコンテンツを売りつけるビジネスで

財を成している人たちは、

いずれ自然消滅しますので、僕は起業家詐欺師と呼びます(笑)

 

真の起業家は、つらくて厳しい時代を生き抜いた経験を経て、

起業してつらい経験を経て財を成しているので、

その経験をもとにコンテンツを提供する相手に目線を合わせています。

 

起業かを見分けるコツはここにあります。

 

上から目線の起業家はNGです。

百田さんのいう「クソ」野郎です(笑)

 

凡人でつらい経験をして大変な思いをして這い上がった人は、

コンテンツを提供する人に対して「凡人」という言葉を使いません。

なぜなら、凡人でつらい経験をした人にとって

その経験はトラウマ以外の何物でもないからです。

凡人時代の辛い経験を経て、

「自分以外の人に同じようなつらい経験をさせたくない」

という動機で事業を立ち上げた人は、

上から目線には絶対ならないです。

 

ネット社会と呼ばれて10年近くになりますが、

パソコンの前にいる私たち、ユーザー側がしっかりと選別する時代になったのです。

しかし、その方法論は正直確立されていないのが現状です。

 

どうしてネットで炎上することが多くなったのでしょうか?

炎上させたい人が増えたからでしょうか?

違います!

ユーザー側の選別が出来ていないからです。

正しい情報とそうでない情報の選別が正しくできていないから炎上するんです。

残念ながら、心理学の世界も同じ事が起こっているのです。

心理学をホンキで極めた人以外がはびこりすぎて、

どれが本当に正しい心理学なのか、よくわかんなくなっているのです。

 

真面目にやっている人が損する時代を終わりにしたい、そういう気持ちを

強く持って、一致団結して世の中を変えていきたい、

と朝一番に寒川神社を出て思ったのでした。

 

タイトル変えました。

タイトル変えました。

料理しなくなったし(笑)

最近、うつ病だの躁だのの話しかしてなくて、

結局心の話が多くなってきたので、

タイトル変えちゃいました。

 

早朝6時の寒川神社参拝後、ふと浮かんだタイトルが

『庶民のための心理学』

っぽいことを書いてみたいと思ったんです。

 

心理学の講座って、あほほど高いですよね。

アレなんで?って思うぐらい。

人助けのための心理学が、今やビジネスになっている。

正直、悲しいなと最近自分で思います。

 

一方で、うつ病、過労などによる自殺者は一向に減らないし、

心が病む人はうつ病患者の数の恐らく数倍はいるでしょう。

資本主義の国だからかもしれません。

でも、正直あんまり納得いかない部分もあります。

 

僕は前から書いている通り、2017年4月にうつ病を発症し、

投薬しながら仕事を続けていましたが、

9月にうつ病が悪化、10月末まで傷病休暇を取得しました。

そして、11月からリハビリ出勤を始めたばかりです。

 

『絶対にかからないほうがいい病気』

それがうつ病です。

うつ状態から脱却しても、躁まで行くと逆の苦しみもある。

風邪やインフルエンザで死んでしまう人は殆どいないんです。

ですが、うつ病は状況によれば自殺願望を持ってしまうんです。

そして、深いうつ病の人ほど死を選んでしまうのです。

 

僕には生きていく価値があるということを今回のうつ病で学びました。

そして、僕の周りにいるすべての人たちに生きていく価値があることを学びました。

今でこそ、うつ病になってよかったと思っていますが、

でも、ならないに越したことはありません。

その強い思いから、自分の経験をあからさまに話していこうと思います。

僕はビジネスでこのブログを書くわけではありません。

純粋に、ただ純粋に、独りでもいいから救える命があれば救いたい。

ただそれだけ。

 

僕がうつ病になって目を覚ました経緯を連ねていければと思います。

 

心と心と身体

復職前のリハビリ出勤2日目が終わり、家にいます。

 

はっきり言います。

『絶対にうつ病にはかからないほうがいい』

『自分は絶対にうつ病にはならないと思い込まないほうがいい』

 

休職期間中は2か月でしたが、それはそれで壮絶(特に底の1か月)でしたが、

復職に向けてのリハビリは1か月の予定ですが、

それはそれで壮絶です。

まだ2日目なのに、もう悲鳴を上げてしまいそう。

 

ただ出勤して帰宅する、

ただそれだけなのに、身体がくたくたなのです。

リフレッシュという意味でのお出かけは全然平気なのに、

バス通勤20分、帰宅20分だけなのに、

ビックリするぐらいに身体がくたくたなのです。

 

休職中は心(意識)と心(無意識)の関係のずれを中心に向き合ってきて、

それなりに良くはなったのですが、

今は心と身体の関係のずれの修復中、といったところでしょうか。

なんというのか。。。。

 

一旦鬱になると、自分でもわけわかんないことがどんどん出てきて、

本当に大変だなと思いました。

心と身体はつながっているという話をどっかでしたような気がしますが、

心(意識)と心(無意識)と身体がつながって、

初めて完璧に復帰できるんでしょうね。。。

まだまだ道は長そうです。焦らずゆっくり行きます。

うつと縁の話の続き

前に、うつ病と縁の話をしたかと思いますが。。。

 

tetsu-shinri-hakken.hatenablog.com

今、ガチで感じてるのは、

うつ病になってよかった』と思うこと。

辛い最中の方にも伝えたいんだけど、

うつ病を乗り越えると、昔を振り返ったときに、

絶対にダイアモンドのように輝くから。

他の人より絶対辛い今を生きてると思うけど、

乗り越えると絶対にダイアモンドになるから。

 

縁あって、うつ病と知り合った僕が、

今本気で思うことは、よかった。。。ただそれだけ。。。。

『生きた』感もほどほどに

何かブログに書きたいんだけど、

でも書けなくて、

悶々としてて、、、

 

という時、なんとなく、自分一日頑張った感がある。

いいのか悪いのか別にして、

頑張ったという言い方は嫌なので『生きた』感がある。

休職中はほぼ何もしていないと『生きた』感がない。

だから、気が狂う。死にたくなる。

 

鬱になる直前、鬱が悪化する直前は『生きた』感がありすぎて、

多分自分が壊れたんだと思う。

ディナーで満腹→2軒目居酒屋→3軒目ラーメン→4軒目24H居酒屋→5軒目もつ鍋

みたいな。。。(笑)

それは無理やろみたいな・・・

 

十数年前、徳島県南部を営業で回っていた時、

国道55号線沿いに素敵な名前の食堂がありました。

その名も『ほどほど』

今はもうないのかもしれませんが。

 

『生きた』感も『ほどほど』が一番です。

 

悪い人は、『生きた』感ハンパない人を利用します。

自分が楽になるために。

内心、

「お前、『生きた』感それで満たされんだろ?

 もっとやれや!」と思っています。

表立っては言いません。

でも、行動にその気持ちが出ています。

悪い人は動かないんです。

ほどほどに動いててくれればいいんですが、

全然動かない人がいるんです。楽したい人。

まあ、その人は逆アッパーかまされるんですが。。w

 

腹八分ではない腹五分。

一生懸命じゃなくていい。

ほどほどに『生きた』感を感じれるぐらいが、ちょうどいいんです。

 

今思うに僕は『生きた』感にどん欲になりすぎていたんですね。

だから、評価を気にしたり、自分よりダメな人を必要としたり、

無駄にアピールしたり。。。

 

でも、それで自分が壊れてたら、意味ないよ。

だからこそ、「本当にやりたいことって何?」って、

しっかり自分と向き合う。誓います。誓うよ。

もうお前を苦しめたりしない。

もう、お前は安心だ・大丈夫だよ。