『生きた』感もほどほどに
何かブログに書きたいんだけど、
でも書けなくて、
悶々としてて、、、
という時、なんとなく、自分一日頑張った感がある。
いいのか悪いのか別にして、
頑張ったという言い方は嫌なので『生きた』感がある。
休職中はほぼ何もしていないと『生きた』感がない。
だから、気が狂う。死にたくなる。
鬱になる直前、鬱が悪化する直前は『生きた』感がありすぎて、
多分自分が壊れたんだと思う。
ディナーで満腹→2軒目居酒屋→3軒目ラーメン→4軒目24H居酒屋→5軒目もつ鍋
みたいな。。。(笑)
それは無理やろみたいな・・・
十数年前、徳島県南部を営業で回っていた時、
国道55号線沿いに素敵な名前の食堂がありました。
その名も『ほどほど』
今はもうないのかもしれませんが。
『生きた』感も『ほどほど』が一番です。
悪い人は、『生きた』感ハンパない人を利用します。
自分が楽になるために。
内心、
「お前、『生きた』感それで満たされんだろ?
もっとやれや!」と思っています。
表立っては言いません。
でも、行動にその気持ちが出ています。
悪い人は動かないんです。
ほどほどに動いててくれればいいんですが、
全然動かない人がいるんです。楽したい人。
まあ、その人は逆アッパーかまされるんですが。。w
腹八分ではない腹五分。
一生懸命じゃなくていい。
ほどほどに『生きた』感を感じれるぐらいが、ちょうどいいんです。
今思うに僕は『生きた』感にどん欲になりすぎていたんですね。
だから、評価を気にしたり、自分よりダメな人を必要としたり、
無駄にアピールしたり。。。
でも、それで自分が壊れてたら、意味ないよ。
だからこそ、「本当にやりたいことって何?」って、
しっかり自分と向き合う。誓います。誓うよ。
もうお前を苦しめたりしない。
もう、お前は安心だ・大丈夫だよ。